先週の金曜日に行ったライヴの話。
 国立ノートランクスでの渋さミニちびズ。メンバーは、不破大輔(b)、片山広明(ts)、立花秀輝(as)、倉持聖(ds)。
 片山with渋さ知らズという形態でのアルバムを先頃リリースした片山広明にとっては、レコ発記念の一環、のような意味合いもあるだろうこの日のライヴ。演奏開始前のノートランクスのアルテックA7からは件の新譜が大音量でかけられていた。
 個人的にこの日聴いていて特に印象に残ったのは、立花と不破の演奏だ。まず、立花。この人の演奏をまともに聴くのは初めて。とてもおもしろかった。最近たまたま聴いていたから思い出したのかもしれないが、ガトー・バルビエリのような激情的な爆発力と勢いが感じられる。かつ、単純に直線的というわけではないフレージングの幅と広がりもあって、その辺りが聴いていて飽きないしググッと惹きつけられるところ。自分は好きだなと思った。そしてベースの不破。彼のベースの細やかな動きと的確なドライヴ感は、バンド全体のサウンドを力強く前に進めていて、非常にかっこいい。
 しかし、これを言ってしまったら元も子もないのかもしれないが、例えば同じメンバーで“渋さ”という冠を外してやったら意外にそっちのほうがおもしろいのでは、なんだか聴いていてそんなことが何度も頭に浮かんでしまった。
 自分が渋さ知らズに特に思いいれがないからそう考えるのかもしれないが、渋さミニちびズを何回か聴いていて思うのが、「決して悪くはないんだけど、めちゃくちゃ刺激があるわけでもないよなあ」みたいなことだ。平均的には満足いくが、予想外のおもしろさがない。
 “渋さ”というある種強固な世界観は、大集団になったときにはアナーキーさとなって爆発する重要な要素なのかもしれないが、この日のような小編成でかつ個々の演奏家のポテンシャルが高い場合は、逆に“くびき”として作用するのかもしれない。音楽的な想像力を制限してしまっているのかもしれない。
 それは決して「渋さ知らズはジャズではない」とかそういう次元の話をしてるのではなく、一直線のカタルシスだけじゃこちらの心は揺さぶられないよな、という嗜好の話というか。