そのグッドマンの前の日には荻窪クレモニアという公民館っぽい場所で、田村夏樹&藤井郷子のそれぞれのソロライヴを聴いた。1時間という短い時間のライヴ。藤井さんのピアノには、ハードなフリージャズそしてクラシック等いろんな要素があるが、なんというのだろう、ブルースが訴えてくる悲しさとか微妙な感情がいいところでグワーッと出てきて、僕みたいなテクニックとかよく分からない人間にとってはそういうところが一番好き。
そして夫・田村さんの後半。約20分で怪作「コココケ」のメドレーを見事にやった。「コココケ」聴いた人なら、あのアルバムはライヴでやるものではなくて、あれ1回の世界なんだと思うかもしれない。実際、この日はアルバムの曲の再現に近い内容だったんで、あのアルバムを聴きこんだ僕のような人間にとって、意外性とかそういう感じはなかったが、尺八のようなワビサビ的トランペット・ソロに、「ベシベシベシ・ベシ・ベシ・ペン!」「ハアー、ネッタラアーモッタラアー」、「サーノー、コーノー、メキナカー、メーキーナーカー」というような、脱力とぼやき、小泉文夫じゃないけど子供のわらべうた的無意識の日本の伝統音楽の反映、そして突然のハイテンションと、そんな不思議な世界が目の前に展開されたのは、非常に刺激になった。音楽世界と自分の生活の境界線はどこにあるのか、そんなことをちょっと真剣に考えた。