11月になった

 今週の日曜11月8日、いよいよ開催です。国立パワージャズ2009。3年目で、この時期の国立の名物イベントにもうなりつつあると言ってもいいかもしれない。そして、個人的には今回はもっともベストなバランスの人選だなーと思う。非常に楽しみ。もちろん開催場所は、一橋大学の兼松講堂です。

→ http://powerjazz2009.web.fc2.com/



 もう11月だ。先月ついに35歳になって、まあそれはそれでどうでもいいというか、年とることは避けられないことだから仕方がないことなのだが、それよりも最近の一般の人のネットの状況というか、たとえばツイッターとかミクシーアプリとか、なにがなんだか分からんってなってるのがやばいな自分、と切実に思う。というよりは、そういうのをやろうかなと思った瞬間にすぐにやめたくなってしまう、新しいものへのこの関心のなさはなんだろうか。いま時間があるとき聴いてるのはジョン・コルトレーン、あとは政治の本とかしか読んでいない。
 春ぐらいから、ずっとキャリアを追って聴いてきたコルトレーンも、ついに残すところ数枚というところになってきた。ちょっと寂しくもあるが、そんなことを言ってられないぐらいコルトレーンの走る勢いは凄まじい。いまは1965年の、ファラオ・サンダースがノイズをまき散らす「ライヴ・イン・シアトル」、「メディテーションズ」、そして「オム」、その辺を聴きはじめている最中だ。特にファラオの凶暴な金切り系フリークトーンが耳と体に痛くて、やはりエルヴィン&マッコイ&ギャリソン&コルトレーンの黄金カルテットの情熱的で美しい音が懐かしくなってしまったりもするのだが、それでも、コルトレーンのテナーの音色・響き自体は、たとえば「メディテーションズ」を聴けば非常に分かるように、急激に深みを帯びているのが感じられ、感動してしまう。65年のカルテット崩壊〜新バンド結成までのときのコルトレーン自身の変化をたどると興味深く、「サン・シップ」や「ファースト・メディテーションズ」をスタジオで録音しながら(この2作でのコルトレーンは必要以上に粗い)、自分がフリーキーになりすぎて吹いても音楽として限界がある、おもしろくないということで、そっち担当としてファラオを恒常的に従えることになったんだろうなとは、聴いてる限り容易に推測できる。サウンドの厚みは格段にアップしたが、ファラオの音はけっこう今の耳で聴くときっついなーとも思う。
 それにしても、今更こんなこと言ってるのも間抜けだが、「至上の愛」(64年12月録音)って何度聴いてもくる。すばらしくかっこよい。なんか「音楽とは関係ないところで評価されている『名盤』の代表」みたいに下手したらネガティヴにとらえられがちな「名盤」なのだが、実際に余計な左右からの先入観を抜きに聴くと、音の塊に心が打ち抜かれる。ここがコルトレーン黄金カルテットにとっての境、「至上の愛」以降、コルトレーンがフリーに傾倒していくのも、ものすごく分かるというか、カルテットとしてのやりきった感が「至上〜」にはすごく刻まれている。