ライヴの感想、自虐の詩、キャラメルコーンなど

 ●成長するっていうこと
 妻が、紫SHIKIBUのCD「LOVEなんだよ」を買って、近所の友達とその赤ちゃんたちといっしょにその特典DVDを観たときは、うちの娘が一番喜んで体を揺り動かしていたらしい。

 娘はようやくハイハイを一瞬だけだがやれるようになった。4月から入園する保育園も決まった。この1年は自分と妻にとってはあっと言う間だった。でもそのあいだに子供はほんとにえらいスピードで成長した。ジャッキー・マクリーンウェイン・ショーターハンク・モブレージョン・コルトレーンらの60年代前半の音源を繰り返し交互に聴いて当時のジャズシーンに思いを巡らし、しかも、そこに何かを発見したかも!なんて妄想しているおっさん(父=私)のせせこましい感覚とは違った、もっと根本的な発見や驚きを彼女は日々経験しているのだろう。しかしながら、今日も仕事帰りの電車でipodを聴きながら、ブルーノート4100番台の後半での、アンドリュー・ヒル、ショーターらが台頭してくるあたりのこの創造性・ダイナミズムはいったいなんなんだ!とあらためて興奮してしまった自分の感性もきっと大人になったら娘もわかってくれる・・と思う。

 キャラメルコーン自虐の詩
 発見といえば、絶対伝えたいことが二つあり、まずひとつめはキャラメルコーンの5倍バージョン、皆さん食べましたか?
 →http://news.ameba.jp/economy/2009/01/32658.html
 あのキャラメルコーンを大きくしたら(カブトムシの幼虫大)こんだけうまくなるのかっていう、何十年もなんでこのことに気付かなかったのかと後悔するような美味さ。妻も「こんなにおいしいお菓子食べたことない」と言ってます。ちなみにコーンは5倍だがピーナッツの大きさは変わっていない。
 そして、いまさらながらだが、読んで感動したマンガ「自虐の詩」。
自虐の詩 (上) (竹書房文庫ギャグ・ザ・ベスト)
 はまった多くの人とほとんどが同じ感想になってしまうので書いてもしかたがないが、文庫の上下巻でいう下巻、とりわけ後半部分の終盤からは、夢中になり、そして猛烈に感動する。胸がしめつけられるというよりは思いっきり優しい気持ちになれる読後感というか、いやすごいよなあこのマンガの人の描き方。この作家の他の作品っていろんなマンガ誌の連載でそこそこは今まで読んだことあって、悪くはないけど特に惹きつけられたりはしなかったが、この自虐の詩に関しては表現の到達している水準がまったくケタ違いだと思った。
 
 ●2月行ったライヴ、行くライヴ
 先週の土曜夜に国立ノートランクスにライヴを聴きに行った。古澤良治郎(ds)石田幹雄(p) 秋田祐二(b)・・・の予定だったが、悪天候(雪)のため北海道からの飛行機の運航が滞り、秋田が本番開始に間に合わず。急きょ、トランペットの渡辺隆雄が参加し、古澤と石田と変則的なトリオ編成に変更。
 3人のフリーの色が強い激辛な展開は非常に美しかった。しかし、なんとアンコール最後の曲がもう終わろうかというときに奇跡的タイミングで店に到着した秋田がバンドに加わったあとの展開が素晴らしすぎて、もうそればかりが突出して印象に残っている。久々にライヴで泣きそうになった。なにしろ、秋田が到着していきなりやったのが、古澤の作品「エミ」、なのだ。昨年の明田川荘之の作品でも収録されていた古澤メロディー屈指の名曲。正直言えば自分はこれ目当てでこのライヴに来たといってもいいぐらいだったので秋田さんがギリギリ間に合ってよかった、嬉しかった。
 「エミ」が始まるとそれまでの奔放なドラムから一転、古澤は訥々としっかりとリズムを刻む。空港から直行、ほんとだったら肩もあったまっていないだろうが、それでもすごくファットでバンドのそれぞれの音を繋ぎながら転がす秋田のエレクトリックベース、叙情際立つ渡辺のトランペット、そして、石田幹雄。ある種の人から見ればジャズとは異質な感傷的すぎて泥臭い、けど人の心の奥底をガツンと打つ「エミ」のような曲を血肉化してやれるところに、石田幹雄の圧倒的才能を僕は感じる。スタンスに偏見がないというレベルではなく、彼のピアノから出てきた音が軽々とくだらない枠組みを超えてしまうのだ。嘘がいっさいない音。
 そして、今週やはりノートランクスに待望の初出演となる板橋文夫も、そういう音をずっと何十年も弾いてきたピアニストだ。いやもうなんか感慨深くて、ほんとに楽しみです。

http://d.hatena.ne.jp/notrunksjp/20090225