くにおんジャズ前編、いしかわじゅん「漫画ノート」

 仕事は9時半過ぎまで。
 いしかわじゅん著「漫画ノート」を読み終える。ここで取り上げられた200ほどの漫画のその多くを自分は読んだことがないにも関わらず、この「漫画ノート」はものすごくおもしろく読めた。自身が漫画家であるので当然ながら技術についての具体的な考察ができるということが彼の漫画について書く文章のリアリティを保証しているわけだが、それよりも、いしかわの率直で本質を射抜く言葉の強さ、その基にある、表現に接するちゃんとした姿勢や思考・まじめさといったものが、本当に魅力的だ。

 少年漫画には、学園ものと呼ばれるジャンルのものが多い。不良ものとかスポーツものとか恋愛ものとか、意匠は多少変えてあるが、大きく括れば、それらはみな、学園を舞台にした<学園もの>だ。それらは、まだ若い、というよりも精神的にも未成熟で、おまけに経験もない新人には、それしか描くことがないからだ、ということが理由であるケースが多いと思う。彼らは、つい最近まで自分もそこに所属していた学生生活を描く。記憶も鮮明だし、余韻も充分に残っている。材料は、いくらでもある。〜〜(中略)〜〜しかし、そのうち無尽蔵にも思えたネタが尽きる日がくる。あれほどなにを描いても面白かったのに、それが色褪せる日がくる。もう、自分の興味がそこから移ってしまったのだ。それとも、自分の感性は、既にその場所にはないのだ。昨日と同じことをやっているのに、できあがったものは、微妙に違う。
 これで、漫画界から消えていってしまう漫画家は、多い。知っているほんの少しのことをすべて書き切って、消耗し尽くして消えていく漫画家は、驚くほど多いのだ。
 しかし、消えない漫画家も、少数いる。自分の手の中にあるものを繰り返し描いているうちに、ついに表現するということを見つける人だ。手近な、身近なものを、そのまま見せるのではなく、そこに新たな価値観を加えて、新たな表現を作り出すことができるのに気付く人だ。(“彼女の見つけた鉱脈「純情クレイジーフルーツ松苗あけみいしかわじゅん漫画ノート」P22〜抜粋)

 青木雄二は、率直にいって、絵は下手だと思う。
 不思議なことに本人はきづいていないのだが、人間を正確に描く能力には欠けている。絵を描く上で必要な、パースペティクブという概念を持っていない。画面を構成し、何が必要でなにを省略するのかを判断する能力は、あまり、持っていなかったといっていいだろう。これでデザイン会社を経営していたというのが、不思議なほどだ。〜〜(中略)〜〜どこからどう見ても、青木の絵は下手だ。味もあってぼくは大好きな絵なのだが、どう強弁しても、やはりうまくはない。
 うまくはないが、しかしその代わりに、彼には、大いなる個性がある。だから、いい絵ではあるのだ。その上、情熱がある。アイデアがある。経験があり、構成力がある。それらがあまりにも圧倒的で大量に溢れているおかげで、絵が下手なことすら、好もしく思えてくる。欠けている部分を補うだけでなく、それを個性に転化するほどのとてつもない熱量を彼は保持していたのだ。(“大いなる個性「ナニワ金融道青木雄二いしかわじゅん漫画ノート」P220〜抜粋)


 話は変わり、先週の6日、新宿ピットインに行った。
 「くにおんジャズvol.1 【Part2.国立音楽大学OBセッション】」を聴くため。
 タイトルを見れば一目瞭然であるように、国立音楽大学出身のジャズ・ミュージシャンが十数名集まり、何組かに分かれステージで演奏を行うという内容。国音にジャズ科ができ4年経過し、今年そこから初の卒業生が誕生したそうで、それを記念してミュージシャンに呼びかけこのタイトルを掲げたイベントが発足した云々・・という説明を、冒頭の挨拶のなかで山下洋輔が語る。(遠目から見て山下洋輔が一瞬山本晋也に似てるなあとくだらないことを一瞬考えた、どうでもいいが。)
 挨拶が終わり、山下と入れ替わり、進行役として壇上に立ったのがピアニスト佐山雅弘。まずおもむろにピアノに向かい、山下洋輔「グガン」を何十秒か弾いた後、60年代後半、山下洋輔から始まった国音ジャズの歴史を自身のエピソードを交え一通り説明(この人、本人も言うように話長い、武田鉄矢に通ずるくどさあり)。そして、国音ジャズが生んだ名曲集として、本田竹広板橋文夫古澤良治郎、そして佐山自身の曲をメドレーでソロで弾く。この日はピットインには来ていなかったが板橋「グッドバイ」はやはり名曲だなと再確認。
 佐山の後に登場したのが、本田雅人(As) 池田篤(As)椎名豊(P)金子健(B)高橋徹(Ds)のクインテット。在学中はビッグバンドで同じ釜の飯を食べ優秀なソリストとして活躍していたという本田(池田の一年先輩)と池田だが、卒業後両者が共演するのは初であるとのこと。本田のプロとしての活動のフィールドがフュージョンだったということが、その主な理由であるようだ。この日は全曲、コルトレーンハードバップ〜モード期のアルバムからの選曲。非常に明快にマイケル・ブレッカー的と言っていい本田の演奏のストレートさが、どちらかと言うと内省的な池田の音よりも、フロア受けしていたなという印象。ファーストステージ終了。
 山下洋輔が「後半(セカンド・セット)は前半と一転して、野獣同好会による演奏です。自分たちの表現を何よりも優先させる人間たちの音楽になります。」と喋っていたのがまさに象徴していたが、本当にその通りで、セカンド・セットは怒涛の展開となった。そしてそういうのを目当てに来た自分のような人間にとっては、待ってましたということになる。
 話がちょっと前後するが、このイベントを自分が聴きに来た最大の理由はずばり、参加者の中にピアニスト原田依幸の名前を見たことにある。ある意味では同窓会的な雰囲気もないこともないこの種のイベントに、最も馴染まないのではないかと思われる原田さん。その違和感そしてそれと同時にある「なにかおもしろいことが起きるんでは?」という異常な期待感。それらに思いっきり駆り立てられたのだ。
 そして、その期待・予想以上のクライマックスがセカンド・セットのいきなり一発目から出てきた。ステージの袖から二人は登場した。アルトサックスとバスクラを抱えた梅津和時、そして、原田依幸。伝説と言っていいグループ・生活向上委員会オーケストラ、その中心メンバーである両者の、生向委・解散後おそらく初めてか、あるいはここ20年はなかったと思われる表立った共演。いきなり突きつけられたこの状況に、一瞬頭が混乱するほど興奮してしまった。しかし、本当の興奮は二人の演奏が始まってからであった。・・・(続く)