モリのアサガオ、ベガーズ・バンケット

 仕事は23時過ぎまで。仕事帰りのipodでは、ふと聴きたくなって、ストーンズ「ベガーズ・バンケット」。中学生の頃、ブルーハーツのファースト〜サードの次に、いわゆる洋楽では最も多く聴いたのがこのアルバム(姉がCDプレイヤーを持っていたが自分はなかったので、ラジカセでテープで何度も聴いていた)であり、自分が音楽を聴くうえでの感覚の根っこの重要な部分を形成しているのがこのアルバムなのかなあと最近よく思う。湯浅学という人がこのアルバムについて書いた評がとても的を得ていて好きだ。

 「徹底的にブルース、米国南部の深い所を目指した結果、そこらの黒人以上に濃厚なブルースになってしまった傑作。豪快さと勘のよさあってこそ到達できた力としぶとさの勝利。〜〜中略〜〜エロも暴力も都会も田舎も、想像力としてのブラック・パワーの音像化によって一つの生命体として結晶化した。」(湯浅学「音海 夜明けの音盤ガイド」から抜粋)

 昨日・一昨日と二日間で郷田マモラモリのアサガオ」を読みきる。
 死刑・死刑制度を真正面から描いたこの漫画は、後半の強引な展開によって作品トータルのクオリティとしてはちょっと下がってしまった感はあるものの、それを差し引いても素晴らしい力作だった。漫画に限らずこういう社会派ものは作家が十分に題材を咀嚼しないまま引用の羅列で終わってしまったり、正論めいた一般論をただ述べるだけのステレオタイプなもので終わってしまうケースが多々あるのだが、「モリのアサガオ」はそれらとは次元が全く違う。この漫画家の人間を描こうとする熱量が、この作品を見事に本質的なものにしている。 
 犯罪被害者、家族、そしてここでは主に死刑囚ということになる加害者、その家族、そして事件の当事者ではないが法の執行に携わることによって深くそれらの人と関わることになる刑務官。彼らの人生と心がリアルに繊細に描かれていて、読んでいてとても苦しくなる。
 「国が人を殺す死刑という野蛮な制度をこのまま存続させていいのでしょうか!?」的な告発・煽りのような上段から構えたやり方ではなく、こういう“苦しさ”という質を内面からジワジワと共有・共感させたという点だけでも、この作品は歴史に残る、と言っても大げさではないかもしれない。