ジャズ、離婚会見、ロックは資本主義

 仕事は21時半過ぎまで。行きと帰りの電車ではipodで(1)Andrew hill「Change」(録音:1966年)と、(2)Ralph Alessi「This Against That」(2002年)、(3)Logan Richardson「CEREBRAL FLOW」(2006年)を数曲ずつ、交互にという感じで。(1)については何度も繰り返して聴けば聴くほどはまる。フリーっぽいフレーズ、変拍子、しかし確固とした黒いグルーヴ感・スウィングがある。安心して聴くことはできない、しかし、「前衛音楽」めいた仰々しさや観念性はない。つまりはジャズという音楽の歴史に深くから根差している、ということになるのかもしれないが、考えていた以上にアンドリュー・ヒルはおもしろいなと思った。そのおもしろさは、現在のニューヨークの若手第一線ピアニスト、ジェイソン・モランやオリン・エヴァンスと実は(聴く側の勝手な感覚だが)直結しているのではないか。モランやオリン・エヴァンス絡みの人脈も多数参加している(2)(3)を聴きながらその思いを強める。いや、特に(3)のサウンドは素晴らしい。現在進行の音楽としてジャズかっこいいじゃん!と思える作品に出会えた。
 と、限りなく独り言に近い、ほとんど誰にも通用しない話は以上。
 昨日は休みで、日中はずっとテレビを見ていた。我ながら終わっている。平日の午前は見るものが決まっていて、東京MXテレビの「ハクション大魔王」→テレビ埼玉「新・必殺仕置人」→テレビ朝日暴れん坊将軍」って順番。そして昨日に関しては、ワイドショーでの小朝と泰葉の離婚会見がめちゃくちゃおもしろかった。それはなんか多くの人が言ってるような、泰葉が「空気読めてない」とか「痛い」とか「無責任」とかそういう表面的なところに反応したわけではなくて、もっとその奥の部分、20年夫婦をやってきたのに、情・腐れ縁みたいなものがあの二人からは感じられないということに対してすごく興味があった。なんだろうなあ、俺はあの会見では泰葉よりも小朝の方が「痛い」と思ったし、あらためて「小朝は気持ち悪い、嫌い」と確信した。あの口調とかやたら偉そうだ。その小朝の気持ち悪さ、痛さってのは、彼らの離婚を考えるうえでいちばん重要なポイント。と、酔っ払って書いているのだが、ほんとまったくどうでもいいことだな。
 今日の帰り、駅から家まで歩いていた22時半過ぎ。もうすっかり寒くなっていて、ああ冬だな暮れに入るのだなと、思った。また音楽の話に戻ると、今年のベスト・アルバムとかそういうのがそろそろ世間では出てくるのだが、自分が今年の新譜で買った・聴いたのはジャズばかり。ロックもヒップホップもテクノもほとんど聴いていない、というか何聴いていいか分からん状態で一年過ごした。なんにしても継続的に触れていないと勘が鈍るというのは間違いなくて、そして特にロックにいたっては、ああ昔の聴いたほうがおもしろいよなってスタンスからずっと抜けないでいる。音楽誌でも、数年前まで読んでたミュージックマガジンとか、その前に読んでたスヌーザーとかREMIXとか、もっとその前に読んでたロッキン・オンとか本屋でチラッと立ち読みしても興味を掻きたてられる要素が皆無。それはライターの書くことがつまらん、それ以前に音楽がつまらん、いやそれよりなにより俺自身の感性が完全におっさんになっているから、まあそういうことなのかもしれない。
 スヌーザーと言えば、この前「日本のロックベスト100」みたいな企画をやっていて、それはどうも何ヶ月前に出た日本版ローリングストーンの日本のロック企画へのアンチテーゼとして出されたらしいのだが、正直なところどっちもどっちだなどうでもいいなと感じた。ちなみにスヌーザーが一位として選出していたのは、RCサクセションのセカンド「楽しい夕べに」。RC再評価みたいな雰囲気を作り出そうという唐突な空気になんだか違和感を覚える。善意・良心・アンチのポーズを気取りながらも、商業主義的な匂いを感じるというか。ムーヴメントをつくろうとしている気持ち悪さというか、実際は反体制的なポーズのための市場を利用しているのではないかという。田中宗一郎野田努も嫌いじゃなかったし、昔は彼らの文章をそれこそ穴のあくほど読んだけど、なんだろう今回のこれに関してはなぜか思いっきり嫌な感じがした。彼らはなんだか音楽の現場にいないような気がする。最近友人がネットの日記で書いていた“ロックってのはやはり資本主義なんだ”って言葉ともつながる。
 それと同様な感じで、やはり上位(2位だっけか?)に入っていたフィッシュマンズ。俺は、俺の同世代(30代前半)の人間が「やっぱりフィッシュマンズは特別だよね・・」とか感傷ぶって言ってるのを聞くと、うんざりする。なんで先に進まないんだろう?自分が新しい感覚を切り拓けないことの言い訳をフィッシュマンズに押し付けるってのはあまりにずるいと思う。銀杏BOYZとかサンボマスターを聴いて悦に入ってる同世代にもそれは言えるな。
 ただ、そう書きながらも、RCの「楽しい夕に」に関しては、俺は相当大好きなアルバム(74年生まれの自分は、当然リアルタイムじゃなく後追いで聴いたのだが)であり、「忙しすぎたから」とか「もっとおちついて」とか、ほんと泣きたくなる。そしてその次のアルバム「シングル・マン」はもっと大好きで、全曲歌える。「ヒッピーに捧ぐ」、「大きな春子ちゃん」、「甲州街道はもう秋なのさ」、「やさしさ」、いや凄いな全部大好き。「シングル・マン」と「宇宙・日本・世田谷」、それと「夏のぬけがら」は絶対特別なアルバム。酒が入ると、ノスタルジーに浸りたくなる、楽だから。