休みの日

 休み。嫁さんは実家の家族と朝から温泉へ。
 近くのラーメン屋で昼飯食べた後、自転車に乗ってぶらぶらと散策。ipod聴きながら。肌寒いけど天気いいし、そんななかでミッシェル・ガン・エレファントやらピート・ロックやらクロマニヨンズやらを聴いてたらテンションが急速に上がる。
 夜は国立に飲みに。
 最近ちょっとした驚きだったのがブランフォード・マルサリスの新譜で、あきらかに相当ぶっ飛んでいた曲が何曲かあった。65〜6年頃のコルトレーンというか、異常な緊迫感と圧倒的な勢いがある演奏。俺はマルサリス一家みたいな新伝承派というかメインストリーム系の音には基本的には馴染まんなあなんて勝手に思っていたのだが、今回の音を聴いてビビッてしまい、その認識が少し揺らいだ。いや過去を辿れば、15年ほど前にデヴィッド・マレイとブランフォードがいっしょにやったアルバムなんかがあって、それを聴くと、ブランフォードのポテンシャルのとてつもない高さとアヴァンギャルド性って実はよく分かるのだが、今回はまさにそれと同じ状況。
 昨夜国立のノートランクスでスタジオ・ボイスの話題が出てたので、本屋で立ち読みをした。フリッパーズ・ギター聴いて心の底からピンときたことって今まで一度もなくて、まあそれは好みの問題だから別にいいんだけど、フリッパーズ基本だよね!という感覚で、実際のところはそれ以上先にも奥にも行かないで耳がとまっているにしか過ぎないサブカルな馴れ合いの価値観には、俺は違和を感じる。“クラブ・ミュージックを通過した僕らの世代の耳には〜”とかよく使われる常套句もなんか同じような匂いを感じる。そういう価値観の中にそれこそ上記のブランフォードが入るってことはないだろうな。(いや入らんでもいいが。)どうでもいいじゃん、音楽が好きなら、いろんなものを鋭敏に聴いて掘り下げていったりして自分なりに感動すればいいだけで、何か大きいものに自分をあてはめて安心している必要はないだろう。(昔の相倉久人とか平岡正明のジャズ評論と通ずるものがあるな。)
 立ち読みしながら、そんなことを考えた。
 で、スタジオ・ボイスといえば去年ジャズの特集やってた、読み直そうと、家の押入れをゴソゴソと探す。菊地成孔が表紙のやつ。
 片山広明が選ぶ自身のジャズ10枚。あらためて見るとおもしろい、これ。生向委を結成した頃に愛聴していたのが「5(ファイヴ)ミンガス」とECM時代のアート・アンサンブル・オブ・シカゴで、ドクトル梅津バンドのときにブライアン・イーノをよく聴いていた、とか。
 奇をてらう必要ないから、こういうところを丁寧に取り上げていけばもっとジャズのシーンもおもしろくなるんだと思う。