ノートランクスでde-ga-showリズム隊(マイナス古澤)

 仕事は夕方で終わり。その後は国立に中央線で向かう。
 国立駅前の喫茶店ipodを聴く。宮沢昭「いわな」(69年)3曲目「あゆ」。アナログではB面一曲目に当たるこのバラード。お約束的な甘ったるい部分はいっさいない。事故前の富樫雅彦のドラムの秀逸さにつきるのかもしれないが、終始リズムのせめぎあいがほとばしっていて、何回聴いてもテンションがグワーッと上がってしまう。ジャズが好きならこの曲だけでも絶対聴くべき。
 いいテンションのまま、国立のノートランクスへ。この日のライヴは、デガショウ・リズム隊=酒井泰三(g)・松川純一郎(g)・上村勝正(b)・古澤良治朗(ds)・・・のはずだったのだが、店の前のチラシには、“古澤さん急病につき急遽メンバー変更”との旨が。ありゃあ古澤さん、大丈夫なのだろうか?
 と、正直言えばかなり残念な思いを抱きながらも、ライヴに臨む。
 このブログの左上にリンクがある「おれわた」でいつもお世話になっている石井さんが、「ローランド・カークを現代に引き継ぐバンド」と絶妙な形容をしていた古澤バンド「ね。」のドラマー福島紀明が、古澤さんのトラとして出演。というか、この日の4人はみんな古澤ファミリー出身者でもある。ミュージシャンを乱暴に括ってはいけないのだが、この4人にとって古澤さんのところで育ったという経験は、根っこの部分で相当に強い影響を落としているであろうことは想像に難しくない。
 それは、この日のフロントの酒井・松川の演奏に顕著にあらわれていた。一聴してジャンルわけできそうな分かりやすいスタイルを対外的に大枠で持ちながらも、それを当人が演奏において突き詰めていくうちに、最後はジャンルとか境界・枠がいつのまにやら曖昧・無意味化してしまうという矛盾を抱えた音。なんか僕の書いていることの方が矛盾だらけでわけ分からんが、そんなことを思った。どっかから適当に音を足したり持ってきたりするのではなく、ミュージシャンが自分の資質・内面に誠実に向かいあい突き詰めていったからこそ出てきた、結果としてのジャンルレス。自分自身に忠実な音をストイックに出しているからこその、はみだし。いや、音楽という豊かで深い世界の反映としては、そのはみだしやジャンルレスというのはむしろ正常な感覚なのだ。
 カークや古澤さんが根っこに深く持っているその感覚を、この日の4人も持っていた。だからブルースやろうが、ボブ・マーリーやろうが、ジャズの曲やろうが、音楽が形骸化しないで生きている。
 3年前に初めて酒井泰三を聴いてピンときたのも結局そこだったんだよな、ラストに思いっきりファンキーに鳴っていたスナカゼを聴きながら、そんなことを考えたりもした。
 ・この日初めて知ったが、雑誌スタジオ・ボイスの、90年代のジャズの一枚にde-ga-showのファーストが選ばれているとのこと!
 ・id:caz:20061102さんのとこにこの前コメントを自分で書き込んでおいて(すんません)、考えがまとまらない問題とも今日の日記は思いっきりつながっている。