バド、リンダリンダリンダ

 仕事は22時まで。帰りの京王線でのipodは、ジャンルをジャズに限定してシャッフル。バド・パウエルGenius of Bud Powell」の「just one of those things」を聴いて思わず硬直してしまう。音の塊が無駄な言説なしでそのまま鳴っている。こちらに四の五の言うゆとりも与えない、底の知れない力を持ったジャズだ。スリルが感じられないいわばジャズ風味音楽然したキース・ジャレットの新譜に貴重な金を出すんだったら、家にあるバドやエヴァンスをもう一回徹底的に聴き直した方がよい。
 「男はつらいよ」17作目といっしょに借りたDVD「リンダリンダリンダ [DVD]」を昨夜は見た。なんというか思いのほかブルーハーツを、というかブルーハーツ(ロック)を切実に欲している人とそうじゃない人たちとのギャップみたいな微妙なところをちゃんと描いているな、と前半は思った。自分の中学時代と勝手に重ね合わせたりもした。が、後半になるにつれ、この映画の主題・本筋はそんなところじゃないんだなと分かる。なんか無難。青春の切なさとかがいかにもステレオタイプに描かれているように思えて、しらけた。題材は別にサンボマスターとかでもよかったんじゃねえ。
 ブルーハーツのサードの「Train-Train」が出た頃(88年〜89年)、ライヴのときに彼らの演奏に合わせいっしょに歌う客を拒絶するように、メロディやリズムを甲本ヒロトがわざと外しながら歌うという時期があった(と記憶する)。当時世の中を席巻していたバンド・ブームあるいはブルーハーツ・ブームみたいなものに対する彼らの強い違和感がそこにあったのだということは、やはり同時期に生まれた傑作「イメージ」や「平成のブルース」を聴けば分かる。もうちょっと後だが、マーシーのソロが出たりとか。
 「以前はブルハのライヴは素直に楽しめたのだが、最近は何かウーン・・といろいろと考えてしまう。」そんなことをあるブルーハーツファンが語ってたのを当時の宝島で読んでものすごくハッとした記憶がある。というか、中学2年だった自分がまさにその頃のブルーハーツのライヴを観ているので、その感覚がよく分かるのだ。(ちなみにそれが生まれて初めて行ったロックのライヴ、自分で電話予約とかしたのも初めてだった。)
 ちょうど昭和天皇が死んだあの異常な世間の空気とも重なり(「平成のブルース」とかはもろそうだよな)、88年から89年というのは自分にとっては非常に大きい時期。
 もちろんこんなことで文句言うのは筋違い以外のなにものでもないのだが「リンダ〜」にはそういう重さや暗さがない。そこがつまらない。