直感

 最近出た爆笑問題太田光宗教学者中沢新一の対談「憲法九条を世界遺産に (集英社新書)」の中での太田の発言、そして「わしズム VOL.19」最新号での小林よしのりの発言で、重要なトピックのひとつとして強調されていたのが、2年前のイラク日本人3人の人質事件のことだ。
 パッと見では、両極端な思想にあると思われる太田と小林が両者とも、あのときの日本国内の異常な空気・論調に「この国はいったい何なんだ?」と強烈な違和感と怒りと絶望に似たようなものを感じたようだ。人によってはもしかしたら、“ああ、そんなことあったねぇ”なんてことなのかもしれないが、僕も、太田と小林には非常に共感できる。
 「自己責任」、「3人(およびその家族)はまずみんなに迷惑をかけたと詫びろ」、「あいつらを助けるためにどうして我々の血税が使われなければいけないの?」というものすごく暴力的で高圧的で、なによりも人への優しさに欠けた言葉がはびこっていたあの時期のやばさは忘れられない。実際、周囲の人間でもそういうことを普通に言ってたりしたので、なにかプチ戦時中体験みたいな感覚もあった。“そんなふうに声高に叫んでいるあんたたちの個々に具体的にどれぐらいの迷惑がかかったんですか?”というつっこみさえ許されない空気。歴史的には、「いま考えると、あの辺りから日本はおかしくなってきたよねえ」みたいな時期だったようにも思えたりするぐらいだ。
(ちなみに、今回僕が「わしズム」を初めて買った理由は、こうの史代のきわめて秀逸な読みきり作品が掲載されていたからだ。小林よしのり絡みの本を買うなんて今までありえなかった。)
 硬直した思考は年齢に関係ない。若いやつでも硬直したやつは硬直してるし、腐ってるやつは腐ってる。逆に、おっさんでもおもしろいのはいっぱいいる。
 しかし、そんな考えも、単に凝り固まった思考に基づいて「あいつは硬直してる、あいつはしてない」なんて自分の趣味で判断してるだけかもしれないのだが。
 ただ、なんとなく皮膚感覚的なところでの自分の直感というかそういったものは大事にしていきたい。
 ジャズ・ジャズ周辺で言えば、例えば50や60を超えても、高柳昌行大友良英ジョン・ゾーンデレク・ベイリー周辺のフリー系録音物に喰いついてる人たち。個人的な趣味から言えば、僕はその辺りはあんまり突っ込んでないというか好きとも言い切れるほどではないのだが、そういうところに熱心なおっさんたちを見ると何か不思議とホッとする。
 逆に、ジャズ・ボーカルものを熱心に漁るというかコレクションしてるおっさん(傾向的にはジャズボーカルもの「のみ」をって人が多い印象あります)。上記に挙げたフリー系同様、個人的な趣味から言えばそのジャンルは僕は好きでもなんでもないのだが、いやこの場合はだからこそなのかもしれないが、そういうおっさんに魅力を感じる部分はないに等しい。ジャズボーカルの魅力が分からないから、そういうのが好きなおっさんに魅力を感じないなんて差別的かもしれないが、これはしょうがない。
 音楽は特に好きでもないですと常々公言するうちの奥さんが唐突に、「アケタさん、いいね」と言い出した。なんでも彼女のipodnanoに僕が入れた明田川荘之のあるピアノソロ作品を聴いていたら思わず、携帯で友達にメールを打っていた手が止まってしまい、ジーッと聴き入ってしまい、そのあと何度も何度も繰り返して聴いてしまったんだそうだ。
 何か大きなものに巻き込まれないように、自分の直感とか皮膚感覚というものは大事にしたい。