午後7時前に目が覚めて、急いでシャワーを浴び、国立に向かう。駅前のノートランクスでライヴを聴くため。この日の出演は、峰厚介(ts)・安東昇(b)・古澤良治郎(ds)。大御所2人と、若手ベーシストの組み合わせ。8時頃店に入ったら店内は満員状態。なんとかカウンターに座ることができた。
 このトリオのスタイルを一応分類すれば、いわゆるハードバップということになるのだろうか。それは、MUSEレーベルのような70年代ハードバップ・リヴァイバル的というか、あるいは50年代後半のロリンズやコルトレーンが硬派に追求していた、そういう狭義のニュアンスのハードバップというか。まわりくどい言い方だが、要するにスタイルだけを一応なぞってみて“ジャズやってまーす”と述べてしまう思考放棄とは全く無縁の、エッジと音楽的なおもしろさがあるということ。
 例えば、リズムの色彩と解放感がもうかっこよすぎる古澤のドラム。語法は非ジャズだが、その猥雑さと自由さはど真ん中のジャズだ。例えば、その古澤の独立独歩の太鼓に一歩も譲ることなく対峙する安東昇のベースの重厚なビート。一音一音の力強い響きや粘りが、ものすごく生きている。耳がグーッと引き寄せられる。
 そしてなによりリーダー、峰厚介のテナーサックス、だ。上記2人の、ドッカンドッカン・ゴリンゴリンと高速・高温でうなっているリズムセクションをねじふせつつさらに煽る。淀みないフレーズだがそこには嘘くささや形骸がまったくない。というか、こういうフォーマットでこういうリアルな音をやられてしまうと、問題はスタイルが新しいかどうかじゃねえんだなと思ってしまう。
 ①スタイルの変化のダイナミズムに興奮する感覚、②音楽の質感やディティールといった内的な追求に喜びを見出す感覚。非常に稚拙だと承知で言えば、ジャズの聴きかたとはこの①と②のあいだで揺れ動くことだと思う。あるいはその矛盾した二つの感覚がジャズを聴くときは同居しているのだ、とも言える。根っこがパンクの自分にとってはたまに①に傾きやすいこともあるが、②を実践しているときの快楽というのも、何物にも変えられないものがある。
 峰厚介トリオのライヴを聴きながら頭の中をなぜかそんな考えが終始巡っていた。この日は、②に深く没頭しながら、①に常に意識がおよんでいたというか。あるいは②と①の境界を揺らぐことで自分の脳内が異常に活性化されるというか。
 とにかく、今年自分が聴いたライヴでの間違いなくベストのひとつ。