最近はミンガスばかり聴いてます

 今月何を聴いているかと言えばチャールズ・ミンガスでありスタン・ゲッツであり、この2人の絶頂期の音(両極端な音像)に耳を傾け続けることで、ジャズと自分の感覚を繋ぐロープはよりしなやかで強固・頑丈なものになるような気がする。
 具体的な音源で言うと、ミンガス「Mingus at Antibes」とゲッツ「the complete roost session vol.1」が最高。まあ有名盤。前者のものすごい力で地を這っていく強烈な黒いグルーヴと阿鼻叫喚のハイテンションなホーンの咆哮が入り混じった音楽世界は、ジャズの男祭りといった風情でもあり、基本的に梶原一騎仁義なき戦いなどの男臭い濃厚な世界が大好きな自分には、もう大好物以外の何物でもない。ブッカー・アーヴィンエリック・ドルフィーの吹く高熱でドロドロに濃く、かつキレまくる音によって、通勤時の憂鬱さが一瞬だがブっ飛ぶ。僕が感じるエリック・ドルフィーの魅力は「アウト・トゥー・ランチ」にではなく、ミンガス一派での参加作品にこそ存在する。まさに下世話な芸術性爆発というか。
Mingus at Antibes
 いまのジャズの新譜を聴いていても、このミンガス・コンボのようなジャズ、あるいはエリントン〜モンク〜ミンガスみたいなラインに位置する黒い濃厚なジャズってのはとんと耳にすることはない。“ブラック・ミュージックの流れとしてそういうのはヒップホップなんかに引き継がれたんだよ”という意見もあるけど、ほんとにそうなのだろうか。社会学的に言えばそれは当ってるのかもしれないが、正直いまいちピンとこない。ヒップホップもジャズも別々に独立した表現形態が音楽的に発展をしていったもので、別物だと思う。むしろ、「そう、ある時期にジャズは血筋が途絶えたんだよ、ジャズは終わったんだよ」と言ったほうがいさぎよい感じもするし、リアルだ。(ついでに言えば外部から見ているとヒップホップも終わった感があるな。)ジャズの血が途絶えるまでの歴史というか、寿命というかは、かなり長いほうだったと思うので、ミュージシャンも音源もそこには豊富に存在する。それを貪るように聴いていくのが、これからのまじめなジャズファンの在り方だったりするのかもしれない。(ジャズ構造改革でもそんなこと喋られてたが。)
 終わった死んだとさんざん書いていてなんだが、(いややはり総体としてはジャズは終わってるような気はするのだが、)絶え絶えながらも実はリアル・ジャズの細い流れはまだかろうじて残っているとも自分は思っている。例えば現在の板橋文夫グループやアケタ・オーケストラはミンガス的なものを正しく継承していると僕は思っている。こんなことを言うとまた日本人ジャズ否定派(無理解派)が嘲笑したり怒ったりするのかもしれないが、そういう人はピットインやアケタにもろくに行ったことないのだろうから、ほっておこう。
 そういえば、2ちゃんねる板橋文夫スレを見てたら、「板橋はバップをちゃんと弾けないから、ああいう日本的な情緒的な受け狙いみたいのをやってるんだ」と書き込んでる人間がいた。「ジャズやってる人って結局クラシックとかをちゃんと演奏できないから、ジャズをやってんでしょ」みたいなのとレベルは同じ。こういうのを指して「終わってる」というべきなのかもしれない。結局こういう人間は誰かがつくった権威のなかでしか自分の考えを展開できないのだろうと思う。あるいは自分の感覚を信用していないというか。おそらく向こうからしてみれば「音楽理論を知らない・演奏できない素人リスナーが何言ってるの」となるのかもしれない。そうなるとまあ宗教観の違いみたいになるんで、話すだけ不毛になるのだが。