モーニングを読んで

 仕事は20時近くまで。雨がぱらついていたが、自転車で帰る。夕飯は途中のジョナサンでタンドリーチキン&メキシカンピラフと生ビール。
 家に到着。近くのコンビニで買ったビールを飲みながら、週刊モーニングの今週号をざっと読む。好みは分かれるだろうが、強烈だったのが新連載の庄司陽子「G.I.D.」。いわゆる性同一性障害のことを描いた全体的にヘヴィーなトーンの作品。庄司は有名な少女漫画「生徒諸君!」の作者で、モーニングのような青年誌に書くのは今回が初めてらしい。連載にあたっての庄司本人のコメントを読むと、この簡単ではないテーマを受け入れるにふさわしい媒体はどこかと熟考した結論として、あえて青年誌(というよりモーニング)を選んだのだというニュアンスが感じられる。
 ストーリーのプロットそのものは、古典的というか、はっきり言って昼メロに通ずる古臭くさ・大味さすら感じないこともないが、作者のこのテーマにかける熱意と衝動がそういう野暮ったさを凌駕して、こちらにガツン!とでかく重いものをぶつけてくる。登場人物のセリフひとつひとつや、主人公の表情の描き方(目とかほんとに凄い)が、リアルで説得力があって、かなりウーン・・・と考えさせられる。
 表現の質という視点で言うと、今週のこの雑誌の表紙&巻頭を飾った弘兼憲史の人気作「常務 島耕作」の相変わらずの内容のなさと軽薄さと比較したときに、それは分かりやすい。
 おそらく庄司と弘兼は同世代だが、その差は歴然としている。庄司には表現者として表現したいことがあるが、弘兼にはそれが全くない。もちろん、仕事(やっつけの)として・経済的理由で書かなければという部分は弘兼にはあるのだろう。それは否定しないし、別にいいんだけど、なんだろうこの弘兼の場合、プロ作家としての質を保っているかも正直怪しいかなと僕は思う。日経新聞とかその辺りの情報をただ漫画としてひねりもなく取り入れてるだけだよなというのが見え見えで。って、そんなのみんな思ってるんだろうけど。