キース・ジャレット再発見

 仕事は7時半過ぎまで。その後、駅前の飲み屋で妻と飲み。鼻コアラの話で盛り上がる。
 東野圭吾の「容疑者Xの献身」が直木賞をとったというニュースを今朝「ズームイン!SUPER」で知った。年末の帰省時に読んでそのおもしろさにやられた!と思っていただけに、受賞は納得。というかなんだか嬉しい。テレビで見た、東野氏の会見の様子にも好感持てた。一見、余裕なユーモアあるコメントって感じだが、けっこう素直に喜んでるじゃんみたいな雰囲気。
 家帰って、友人に借りていたDVDを観る。キース・ジャレットの伝記もの「アート・オブ・インプロヴィゼーション ~キース・ジャレット・ザ・ドキュメンタリー [DVD]」。
アート・オブ・インプロヴィゼーション ~キース・ジャレット・ザ・ドキュメンタリー [DVD]
 借りたときも観る前も、うーん・・・とそれほど気が乗らないところがあった。キースは、自分はそれほど好きではないのだ。まずジャズマンとしてのアティテュード。去年の来日公演時の有名なエピソード、ライヴ中のお客の私語・携帯の着信音はおろか、咳やくしゃみなども許さない、もしそんなのがあったら私は演奏しないよ、というなんとも高飛車な姿勢に思いっきり違和感を覚えた。実際自分はその公演に行ったわけではないので批判をする資格はないし、実際の雰囲気はどうだったのかは分からないが、コンサート会場の入り口には観客に対してのその旨の警告的な文書が貼りだされていたそうなので、それはキースの重要なポリシーと思っていいだろう。え、何気どってんの?ジャズマンなら、「俺の演奏で客黙らせてやっからよ」って大見得きるのが粋ってもんだろう。
 で、演奏。もちろん好みの問題だが、あのECMでのスタンダード・トリオ。あれを、“現在ジャズの最高峰”って捉える向きが僕にはまったく理解できない。ブラインドで聴いて、例えばいま数多あるヨーロピアン・ピアノトリオと区別つきます?一人のアーティストの円熟としてそれなりの感銘を受けるということではもちろん全然文句はないけど、あの演奏を聴いて、現在のキース・ジャレットこそがジャズというジャンルの新しい歴史をつくりだすんだなんて言説は、正直自分には全然リアリティない。
 ・・・と、めちゃくちゃ書いた後にあれだが、このDVD、見どころあった。というか、キース・ジャレットを相当に見直した。この人凄かったんですね、昔。
 2点ある。
 まず、1968年のチャールズ・ロイド・カルテットでのキースのソロ、これはぶっ飛んだ。見た瞬間、大笑いした。明田川荘之?と思うほどの独立独歩な変態路線のドシャメシャぶり。このライヴのもっと長いちゃんとした映像あれば自分は絶対買う。相当にきてる、いっちゃってるキース。
 もうひとつは、70年代前半でのチャーリー・ヘイデンポール・モチアンとのトリオ。キース・ジャレットがボッギャボッギャのソプラノサックスを吹いてる。フリーキーで妖艶でなんだか迫ってくるものがある。「なんで他の人がこういう音を出せないか不思議だった」なんて本人の鼻につく発言もちょっと納得できる。
 キース再発見かも。