窓の日

 仕事は8時半過ぎまで。
 行きと帰りのipodでは、矢野絢子の新譜「窓の日」を聴く。予想以上にこのアルバムが良くて、何度も聴いている。
 2年前、高知にある「歌小屋の2階」に行ったことがある。友部正人の四国ツアーを追っかけていくなかで偶然出会ったライヴハウスだ。外観と内装はライヴハウスというよりも、小劇団が舞台に立ってそうな芝居小屋といった風情で、かなり独特なでも手作りの暖かい雰囲気を持った店。後から知ったが、ここは数年前に矢野絢子が地元の仲間と設立させたそうだ。
 その店で友部さんの前座として演奏したメジャーデビュー直前の矢野は、なかなか印象的だった。客席にいっさい顔を向けず、もくもくとピアノを弾き歌う。フォークソングや童謡的ともいえる素朴なメロディと、やけにハキハキした歌い方。外見やパフォーマンスには、一見70年代アングラ趣味な浮世離れした佇まいも感じられたが、こと音楽に関しては、何風でもない・他と比較するものがない、おもしろい個性の持ち主だなと感じた。
 だが、それから何ヶ月か経った後メジャーから出た彼女のファーストアルバムを聴いたときは、正直失望した。1曲目「てろてろ」は良い曲だと思ったが、アルバム全体としては、大味・冗長、言葉と音が噛み合わない、出てくるのはそんな感想。「歌小屋の2階」で感じた個性が薄められて、えらく中途半端になった、そんな風に思った。
 で、新作「窓の日」。ピアノの弾き語りが中心で、あいだにインストも入る構成。録音はほぼ一発録りらしい。失敗作だったファーストそして前作のミニアルバムと比べても格段に良い作品になった。制作にあたって今回は本人の意志がかなり反映できたのだろうと想像できる音だ。アルバムの数曲こそはファーストアルバムの製作陣がまだ残っているけど、大半は件の「歌小屋の2階」で録音されたという事実がそれを裏付けている。  
窓の日
 虚飾のないシンプルなアレンジのおかげで彼女の個性が瑞々しくこちらに伝わってきて、矢野絢子はここから始まるのだと確信できる。特に②③⑨で顕著な、凛とした躍動感と同時に鳴り響く悲しさ・切なさは現在の彼女の最大の魅力だ。
 はっきり言えば趣味やセンスのよい音楽ではない。むしろかなり臭い分類に入る音かもしれない。だが、誰にも文句が言えないちゃんとした個性がこの人の音楽にはある。少なくとも嘘がないよ。高知の片田舎で、こういう誰にも媚びず流行に左右されない主張を持った音楽が生き生きと展開されているという事実は、決して見落とすべきではないと思う。
 ・・・と妄想的な熱い文章を書いたあとであれだが、ほそかわさんという方の下の日記を読んでちょっとショック。矢野絢子、やっぱメジャー切られるのかな?

http://fromto.cc/hosokawa/diary/2005/20051112-aoyama/
http://fromto.cc/hosokawa/diary/2005/20051113-aoyama/index.html

 ・・・けっこう空しい。