ジャズとは何の関係もないところで

 連日書いてる「diatxt.〈16〉特集 音を聴く/音をつくる」ネタだが、特にその中でも大友良英の語っている内容についてだが、ちょっとおもしろかったのが、半年前に物議をかもした例の「スタジオ・ヴォイス」特集にもちらっと言及した後に述べている内容。「僕らはジャズとは何の関係もないところで育ってきた。ジャズの影響は受けているけど何か根本的に違うものをやっている。たまたまジャズというネーミングがついてるだけで、違うネーミングでもいいぐらい」。ここでの「僕ら」というのは、世間的に盛り上がっている菊地成孔渋さ知らズや大友氏らのこと。3者とも音楽性こそは違っているけど、アメリカのジャズをお手本にしていない世代だよと、大友さんは断言している。んー、なるほど。
 テクノ→ヒップホップ→エレクトロニカ、期間としてはそれぞれ一年ずつぐらいだが、20代中盤ぐらいからそんな流れで刺激のある音楽を探して闇雲に聴き続け(ちなみにその前はひたすらロック)、それらにひととおり飽きてじゃあジャズでも聴いてみるかと、このジャンルに突入して現在に至るという経緯を持つ自分だが、なんでこれほどジャズという音楽にはまってるんだろうとときどき考える。
 例えばデートコースや渋さをチラッと聴いたり、エレクトリック・マイルスを聴いたり、それまで自分が聴いていたロックやクラブ・ミュージックに近いところでウロウロしていた時期もあったが、ジャズに本格的に目覚めたきっかけは、入り口は、セロニアス・モンクだった。モンクを聴いて、うわあジャズおもしろいんじゃない?とリアルに感じた。その後、ビバップハードバップ、モード、フリーと教科書的に(理解したかは別として)聴き進めた。それまでとは違う、新たな音楽の聴き方・耳を身に付けていく過程が楽しく刺激的だったのだと思う。現在もまた掘り続けている最中だが。
 ジャズっぽい雰囲気な、ジャジーな安っぽい音楽はまわりにたくさんあった。でも、何かしらの特別な環境がなければ、思春期に本物のジャズをリアルに探して受け入れるチャンスなんてなかったと世代的実感として思う。そういう点で、大友さんが語るところとはまったく意味合いも重さも違うかもしれないけど、自分も基本的にはジャズとは何も関係ないところで育ってきたのだ。・・・あんまりこういう言い方は好きではないが、やはりジャズはある時期で終わってた・死んでたのではないだろうか。
 ・・・続く(?)。