ジャズ本をいろいろ買う

 休み。日中はなんだかんだの手続きで、妻と動いていた。夕方に諸々の用件が終わり、駅前の本屋やCD屋に寄る。
 音楽書籍コーナーでジャズ関連の新刊がやけに目立つような気がする。売れるのかなと思いながらも、①「diatxt.〈16〉特集 音を聴く/音をつくる」、②「TALKIN’ジャズ×文学」、③「昭和ジャズ喫茶伝説」を購入。ザーッとそれぞれを斜め読み。
 ジャズ聴き初めの頃の2〜3年前は、もっと熱心にジャズ評論的なものを読んでいたような気がするが、いまはそれよりも音をどんどん聴くということが優先されている。まあそんなの当たり前っちゃ当たり前か。でも、なんかジャズ“周辺”を語ってる、言葉ジャズ、ウンチク・ジャズ的なものが世間にはずいぶんあるように思う。
 以前、「いやあ、落語はジャズだよなぁ〜」と得意気に語ってた輩に対して、「そういうこと言う人って多いけど、俺は全然分からないし、そう思わない」とビシッと断言してた友人にうわかっこいい!と思った。似たようなやつだと、「プロレスはジャズ」とか、「革命とジャズ」とか。③の平岡正明なんて、もろそうだよな。偏見入ってるかもしれないが、①での平井玄+大友良英細川周平の言説にも全体的に同様の匂いをプンプン嗅ぎ取ってしまう。言葉ジャズ、俺は苦手。つうか、いま家で自分がコルトレーンやトニー・マラビーや早坂紗知を聴いてることと、この人たちの書いてる・言ってることが正直まったく結びついてこない。
 例えば社会人であれば、音楽を聴くために毎日2時間も確保できればかなり立派な方だ。しかも、その2時間をまっとうに集中して音楽につきあえるかとなると、これまた難しかったりもする。結局は酒盛りのBGMで終わったりとか(自分か)。だが、ジャズ(音楽)を聴いたような気になって、したり顔することだけは絶対に避けたい。自分をごまかしたくはない。
 頭の良い人間だから、専門家だから、短い時間(か分からないが)接しただけでそれを簡単に分析・対象化して言葉にできるのだろう。だが、たとえ情報としては正確に処理していたとしても、それがこちらの胸にグッとくるかどうかは別問題。もちろん「音楽を言葉であらわすのは愚劣なことだ」なんて言いたいわけではないが、「このバンド、めちゃくちゃかっこいい」とか「この人の出す音がほんと好き!」とか、人が真剣に楽しそうに話してるのを聞いてるほうが基本的に僕は好きなのかもしれない。