エレクトリックノマドのメンバーは、酒井(g)・太田恵資(vl)・佐藤研二(b)・佐野康夫(ds)。少し余裕を持ってと、通常の演奏開始の30分以上前に会場に到着したが、客席の椅子はすでに埋まっていた。最終的には立見客もぎっしりという満員御礼状態。このバンドの人気は相変わらず根強い。5月に行なわれたノマドのライヴCD−Rが受付カウンターで販売されていたので、即購入。
 そのCD−Rと同じ「ソニックブギー」でライヴがスタートした。酒井のギターの扇動的なフレーズに呼応し、バンドの音が一気に爆発する。これはベースの佐藤研二の貢献だろうか、這うようなズッシリとした重さがありながら同時にその重厚な音の塊が旋回しながら昇っていくような感触は、圧倒的に気持ちがいい。形骸化されたギターロックや冗長なプログレ的音楽には欠けたこの強靭なグルーヴ。それを直に体感したいから、自分はこのバンドや酒井泰三のライヴに足を運ぶのだと思う。
 特筆したいのは、ファーストセット最後の「スナカゼ」だ。酒井がボトルネックを使用しだしたこの曲の後半が、なんともものすごい。大枠でのビートの進行はゆっくりだが、サウンド空間の中でいろんなものが高速でうねってうごめいて、高温で煮えたぎっていて、みたいな。デュアン・オールマンと、スライ・ストーンと、マイルスの「アガルタ」と、アジア的なものがまじりあった瞬間をそこに見た!と、そんな大げさな表現のひとつでもしたくなるほどの興奮を覚える。
 それぞれの楽曲コンセプトもわりと重視された前半にくらべると、セカンドセットはかなりラフな音のようにも思えた。だが個人的には、その強引にグイグイ持ってく荒っぽいファンクネスに、かなりはまった。で、踊った。グルーヴに体を預けることで、でかい音のビートに自分が同化しようとすることで、さらに聴こえてくる音や感じられるリズムがある。そんな当たり前のことをなんか久々に思い出した。
 思いっきりつまらない例えだけど、「改革を止めるな!」なんて陳腐なフレーズに思考を停止させられるのはご免こうむりたいが、すごい音楽の中でこうやって自分が馬鹿になれるのはもう大歓迎だ。そうやって馬鹿になるのは気持ちがいいし、息が詰まるような状況の中でも、まあ一瞬だけかもしれないがなにか前向きになれる。そう、この日発売されたエレクトリックノマドCD−Rのタイトルが、もう端的にそれを表している。「無怒快楽」な境地だ、まさに。
 そして、なんだか同時に自分が考えてしまったのは、状況を変えるためには、音楽の受け手側にももっと心の用意が必要なのかもしれない、腕を組んでジーっとステージを眺めているだけでは全然足りないのかもしれない、そんなことだった。
 音楽は逃避かもしれないが、いまの僕にとってはそれがいちばん必要だし、これからもそれは続くのだと思う。相変わらず訳がわからないが、そんな結論。