ハイノロジー、批評、マル

 行き帰りのipod、そして家帰ってからも、60年代終わり〜70年代初めの日野皓正ばかり聴いているここ数日。今日は「ハイ・ノロジー」(69年)を聴く。電化ヒノテルの初作品らしい。マイルスの多大な影響ももちろん感じられるが、全体のソリッドな雰囲気、そしてドラム日野元彦のキレまくった8ビートぶりを聴いてると、ロックだロック!と、興奮する。
Takt JAZZ HI-NOLOGY
 自分が持ってるこのタクトジャズの再発盤CDには、当時日野グループが担当した映画サントラの音源がボーナストラックで2曲入っている。しかしこれが思いっきりださすぎる(安っぽい昭和歌謡曲テイストというか)。それと比較するとなおさら、30数年前に日野皓正が追求していたジャズの、まったく風化しない瑞々しい感性が際立つ。
 この時期の日野については↓のインタビューで詳しい。(高平哲郎による植草甚一についての特集より)
 →http://www.shobunsha.co.jp/h-old/uekusa/hino01.html


 ところで、いろんなところで書かれているが、「ジャズ批評」の最新号はほんとに悲しいほどに終わっていた。とても買う気になれなくて立ち読みで済ませたが、読み応え・刺激はほとんどゼロ。情報誌としても役に立たない(なんと今号はディスク・レヴューもない!)。内容の印象としては、SJをもっと薄めたような感じ。編集後記で発行人の方が「若い女性が気軽に持ち歩ける・手にとれるジャズ雑誌になれば」と書いてたが、いやあなんかその感覚、かなりずれてないっすか?まあいいけど。
 「ジャズ批評」的世界への需要って、それは少数だけど一定あると思うんだが(要するに音楽オタクや若年寄の需要)。そこに向けてしっかり内容のある情報を送っていくのがこの雑誌の役目だったはず。まあ歴史的役割を終えたとも言えるかもしれない。何ヶ月前かの号で、「現在のジャズを知りたいならクラブ系の音楽誌を読んだほうが早いという意見も聞くが、ジャズ専門誌だからこそできるアプローチがあるはずだ」という旨の真摯な問題提起をしていた原田和典が辞めたことが、ほんと痛い。
 全然話変わるが、昨日報道ステーションを観てたらニューオリンズのハリケーンについてのニュースの中で、ウィントン・マルサリスがブッシュ政府批判をしていた。で、その後災害被害の映像に合わせ、トランペットソロを吹いてた。