阿部薫、山下洋輔トリオ

 職場の厚意で、昨日まで休みをもらった。昨日の昼飯は妻のお父さん・お母さんが家に来て、素麺を4人で食べた。会話はもっぱら、お通夜と葬儀の話。1時間半ぐらいで2人は帰った。その後はどっと疲れがきて、爆睡した。
クレイ
 今日は4日ぶりに職場へ。7時過ぎまで残務。帰り、駅に着いたら、いきなりものすごい雨が降ってきて、服も靴も鞄も数秒でずぶ濡れになった。
 週末には聴けなかった音楽をガシガシ聴くかと、家に帰ってCD棚を漁った。まずは、ジャズ批評を辞めた原田和典氏がプッシュしていたトニー・マラビー。彼の作品「Adobe」を取り出す。ドラムがポール・モチアン、ベースがドリュー・グレス。なんだかマラビーのテナーがスーッと通り過ぎていってしまって、いまいち耳に引っかからない。妙にスムースに聴こえる。
 どんなもんなんだろうと、全く趣向を変えて、エリントンの「ザ・ポピュラー・デューク・エリントン」をかけてみる。「A列車で行こう」冒頭のエリントンの黒く荒っぽいピアノソロ部分を聴いて、スカッとする。今日はこんな感じの叩きつけるような音を自分の感覚は求めているようだ。
 で、次は何聴くかなとゴソゴソ探っていたら阿部薫の「彗星パルティータ」が出てきた。2年前の春にこれを聴きながら自転車通勤していたら、交差点で横から来た車に衝突されたという痛い経験がある、自分にとってはある意味思い出の盤。それ以来、トラウマで聴けなくなったなんてことはもちろん全くないが、趣味の問題で、ほとんど手にすることはなかった。最近読んだマイク・モラスキーの本の中の阿部についての(というよりは若松考二氏の映画についての)言及が印象的だったことを瞬時に思い出し、そのままCDをプレイヤーに突っ込む。
 何曲かのそれぞれ数十分に及ぶアルトソロが2枚組にびっしり焼きついている。久々に聴いたが、思いのほかストレートだなとまず思った。沈黙と絶叫のコントラストが分かりやすい。咆哮するブロウのベクトルも直線的で、アイラーのようなある種の親しみやすさがある。どこか演歌チックというか、情に訴える音楽というか。どうなんだろう、例えば同じフリー系列のアルトの林栄一に比べると、正直洗練もされていないし、音色やリズムといった面での幅もそれほど広くない。しかし、これはこれでもう文句のつけようがない世界だなというのは否定できない。阿部薫個人の私生活とか、伝説めいたエピソードとか、そんな音にまつわる物語には僕はいっさい興味がないが、若干20代半ばのミュージシャンがこれだけの個性のある音を創造したっていうのはやはり凄い。
 その勢いで山下洋輔トリオ「クレイ」を聴く。後半の表題曲「クレイ」だけ聴いたが、これがあまりに素晴らしくて、スピーカーの前でジーっと硬直してしまった。感情とか観念になる以前の、音だけの世界。