差異化のゲーム

 仕事は7時過ぎに終わる。去年読んで家のどっかにあるはずの大塚英志「おたく」の精神史 一九八〇年代論を本屋でなぜかちらっと立ち読み。おもしろいのでまた買った、部屋探すの面倒だし。同世代としての自身の経験に基づく80年代の「新人類」についての大塚の分析が、この本のなかでのもっとも僕が興味深いところ。

 ・・・いずれにせよ「何者でもない」彼らが、「何者でもない」他の若者たちと自らを区別する際に巧みに用いたのが、一つにはその時点でブランド化している固有名詞に認知される、という手続きだった。こういった自らがまとう記号の操作に相対的に長けていたのが「新人類」であり、他方、それに全く無頓着であったのが「おたく」だといえる。
 したがって「新人類」にとって何よりも重要だったのは「何者でもない」無名の若者と「何者か」であるべき自らの差異の演出である。小説の賞をとる、とか、一つの領域でそれなりに評価されるように努力するといった手続きをぼくたちは(と正直に記すべきであろう)経ることもなく、せいぜい瞬間芸で目立つ程度の手続きで世に出てしまった。無論「権威ある賞」に何の価値もないことは真実だし、村上春樹とて自己イメージの演出にはけっこういじましく努力をしていたのかもしれない。だがたとえそうであったにしても「新人類」はあまりに努力を欠いていたし、「差異化のゲーム」という記号論的なふるまいに本気で終始していたと思う。(「おたく」の精神史 一九八〇年代論P37〜38より引用)


 自己演出・自己イメージ操作には執心するが、「あまりに努力を欠いていた」「瞬間芸で目立つ程度の手続きで世に出てしまった」という新人類についての大塚の批判的な見方は、非常に率直だし、考えさせられることが多い。続いて、「差異化のゲーム」について大塚は具体例を挙げてこう述べている。

・・・こういう差異化のゲームとは例えば以下の類のものだ。「アクロス」84年7月号は「のりサメ人間」(要するに「新人類」の一種)として二人の若者のコメントを掲載する。
 一人めは東洋大学社会学社会学科で社会学や人類学を専攻のAさん、22歳。女性である。彼女のコメント。<ファッションには小さい頃からこだわってきた/大学ではレコードの自主制作やコンサート企画に関係。主にマイナー発掘/戸川純はかわいい。イメージつくりすぎて最近鼻につくけど/浅田彰大きらい(中略)/高校時代は「宝島」「ビックリハウス」で育った/マスコミ志望で、放送局、新聞社、カルチャーセンターなどにコネがあるが、本当は出版社か企画関係がいい>。
 二人めは法政大学社会学部のB君、21歳、男性のコメント。<漫研に所属、SFマニア。雑誌「東京おとなクラブ」に執筆/戸川純が好きな女の子が嫌い。カタカナで書くビョーキ、ワタシビョーキなの、ワタシススンデルノ的優越感がイヤ。「宝島」的なのはみんなそう/広告業界も同じ/(中略)戸川純すごい、浅田彰すごいっていう人多いけど“おもしろい”といえない人が距離を置いて“すごい”っていう>。
 「戸川純好き」というAさんに対し、B君は「戸川純が好きな女の子が嫌い」と語る。『宝島』に対しても浅田彰に対しても両者はそれらと自分との距離を個性的な形で示そうとするが、そもそも「戸川純」「浅田彰」「宝島」という固有名詞に拘泥し、それによって自分と他人との違いを演出しようとしている。もっとも、こういった「新人類」たちの差異化のゲームを冷静に分析しているかに見える西部セゾングループマーケティング雑誌「アクロス」のライター自身が自らを社会学的な分析者の位置に置くことで差異の捏造において特権的な立場を獲得しようとしているいじましさがあることを記しておかねば、「Aさん」「B君」に対してあまりに配慮に欠けるというものだ。ちなみに雑誌「アクロス」が象徴的なように、80年代から90年代半ばに至る時代と最も共犯関係にあるのは文化人類学でも記号論でもなく、社会学であることは指摘しておくべきだろう。(「おたく」の精神史 一九八〇年代論P38〜39より引用)


 “固有名詞に拘泥し、それによって自分と他人との違いを演出しようとしている”この「差異化のゲーム」的ふるまいって、2005年現在であれば例えばインターネット上を見ればあまりにスタンダードになっていることは言うまでもない。ブログやらミクシィやらで上記AさんやB君のような文章や自己アピールは無数に目にする(自分も含め)。
 マーケティング・大資本が提供する価値観に従順になったところで(それが無自覚・自覚的かは問わず)、それは所詮薄っぺらいものだ。後には大したものは残らない。音楽に関しては自分なりの価値観をつくりたいと思いながらも、どうも努力を欠いた他人本位な「差異化のゲーム」に結局のところ終始している傾向が自分にもあるような気がして、複雑な気持ちになった。