ジャズについてウダウダ語る夏

 帰り道にシャッフルさせていたipodから流れてきたギターにすごく引っかかった。これ良いな。音の艶とリズム感覚が素晴らしい。うーん誰だっけと確認したら、津村和彦だった。アケタズ・ディスクから10年以上前に出た津村さんのリーダー・アルバム「ウォーター」に収録されたオーネット・コールマンの曲。古澤良治朗がドラムで上村勝正がベースだ。
 津村和彦の演奏を初めて聴いたのは、たしか2年前のアケタの店明田川荘之オーケストラのライヴだった。そこで一発で好きになった。こういうふらっと行ったライヴで好きなミュージシャンを発見できるって、やはりすごく理想的だ。自分にとっては津村さんもそうだし、酒井泰三板橋文夫もそのケース。大きいメディアにはほとんど露出しない、日本のジャズやその周辺の音楽。例えば菊地成孔や渋さに対する音楽ファンの認知度が上がっても、アケタの店にレギュラーで出ているようなジャズミュージシャンの知名度が急激に上がったなんていう話はまずない。
 「いろんな情報の中からあえて選んでここに来ているお客さんなんだから、その人たちはそれだけ濃度の高い音楽ファンなんだ。」と言えば聞こえは良いが、ライヴハウスでの実際のお客の入りを目の当たりにして、ありゃーとがっかりしてしまうことは多々ある。
 昨日書いた日記ではないが、みんなどういう基準で音楽を聴いてるんだろうなあと、考えるときがある。名前聴きってけっこう多いのかな?べつに、例えば中央線ジャズを「これこそが本当のジャズだ」と絶対化するつもりはないが、みんながみんな同じもの聴く必要はないだろうよ。と、僕がぼやいても何の解決にもならないのだが。
 愛読しているM’Sセレクションが第二期に入った。
 → http://notrunks.jp/cdreview/cdreview/cdreview_002.htm
 今回から、日本のジャズが取り上げられるようだ。ここで村上さんは、ジャズミュージシャンのタイプを3種類に分けている。

ジャズミュージシャンには3パターンの人種がいると思う。
① スーツ、でもセンスの悪い石原裕次郎みたいなスーツを着てスタンダードなんか弾いて、ジャズは女を口説くムード音楽だみたいに勘違いしているヤツ。
② 着るものなんか全然気にしない。音楽の中身がよければ外見なんてどうでもいい求道派タイプ。コルトレーン山下洋輔トリオの一派だ。
③ そして最近では珍しいのがファッションも音楽もセンスだとする連中だ。マイルスであり菊地雅章であり菊地成孔である。
(以上、国立ノートランクスHP「M’Sセレクション」より転載)


 ①はまあどうでもよいとして、自分はどうも②を好む傾向がある。アケタの店中央線ジャズも属するのは当然②。マイク・モラスキーが「戦後日本のジャズ文化―映画・文学・アングラ」の中で「男性中心的」と批判するある種のジャズ的価値観もこの②に属すると言っていいだろう。(もちろん、求道派=「男の世界」なんて単純な話ではない。実際には、例えば板橋文夫林栄一のライヴに行くと女性客の方が多かったりするぐらいだから。)
 村上さんが現在の菊地成孔に期待する対「世間」、対「時代」という役割。ポップと言ったらあまりに単純な言葉かもしれないが、③の現実的な役割はそういうことなんだろう。現在進行形のロックやクラブミュージックのファンも取り込むジャズ。僕のような菊地成孔さんの音楽にあるいは菊地さんに特に思いいれがない人間にとっては、実際距離を感じないこともないが、そう、そこからジャズを自分なりに聴きだす人が増えれば、それはほんとにいいことだと思う。