ジャズ批評を買った

 仕事、9時近くまで。待ち合わせのルノアールipodを聴く。ブラウズを「曲」にして、「ロッキン・リズム」の聴きくらべ。スティーブ・レイシー、大西順子ウェザー・リポートの3者。エリントンのがなんでか入ってない。大西のは「WOW」のやつだけど、中盤からのガンガンたたみかけながらのノリに、体がググッと動いてしまう。良い。
 話変わって、「ジャズ批評」の編集長・原田和典さんがジャズ批評社を退社したそうだ。え?なんでよ?という思いは強い。1年前にリニューアルしてからの「ジャズ批評」から感じられる熱は、音楽ファンとしては心地よいものだった。というか、リニューアルしてから初めて僕はこの雑誌を買うようになったのだが、共感できる部分が多い数少ない音楽誌だと思っていたし、毎号読むのを楽しみにしていた。(今号をもって、沼田順さんの連載「パンクですから」も終わった。)どんな事情があったかは当然知る由もないが、「ジャズ批評」が今後も批評としてのリアルさを保てるのか?という点では、原田さんの退社はかなり痛手だと思う。
 前号での「普通のジャズ誌になれ」という寺島靖国氏の提言に従ってもしこういうことになったのだとしたらまあ笑い話にもならないのだが、もしかしたらリニューアル以降の編集方針が「ジャズ批評」的に(特にジャズファンに?)あまり歓迎されていないのかもしれない。具体的に言えば、リニューアル第一号に顕著にあらわれていた、非主流、非フォー・ビートの「尖がり系ジャズ重視」方針が。
 もっとも、「ジャズ批評」は実際、言うほど尖がり系ばかりをメインに取り上げていたわけでもない。岩浪洋三とかがなんでか知らないけど、いまだに連載続けているし。(まあマガジンでいう中村とうようのコラムみたいなもんだな。)むしろその辺の中途半端さが自分には歯がゆかった。ほんとこれからだと思っていた。音楽に対する愛情よりも資本の論理がその頭の中で最優先されている、いまやマジな体制側になってしまった寺島さんの圧力発言・暴言も呑み込んで、たくましく凛として自分たちにとってのジャズはこうだ!と発信し続ければおもしろかったのに・・・と、傍目には思う。小数左派でいいじゃん、リアルであれば。(話がぐちゃぐちゃになるが、別に“尖がり系=リアル”という図式がリアリティを持っていると僕は決して思っているわけではない。当然その内容による。)
 今号のジャズ・フェス特集は最悪なセンスだった。あんな、薄っぺらい内容が今後続くのであれば、この雑誌を買う理由は自分にはない。