ヒューマン・ファクター、NO TRUNKSでの三上寛トリオ

 職場には5時半過ぎまで。そのまま自転車で国立へ向かう。
 途中のブックセンターいとうや、駅前のユニオンなどでいろいろ物色したものの、結局買わず。本屋で不意になんとなく文壇誌?買ってみるかなと思って、「論座」と「現代」を買ってユニオンの上の喫茶店で読む。
 JR西の福知山線脱線事故についてそれぞれ特集が組まれていた。タイトルに惹かれた作家・高村薫の「私たちは『被害者』を消費していないか」という7ページに渡る寄稿(語り)だが、かなりつまらなかった。結論として、「現代は、私たち一人ひとりがものを考えることを止めた直感社会なのです」とかさあ、なんだか説教っぽく言われてもなあ。なんの解決にもならんでしょう。「この国の行方は〜」みたいな諦念っぽい発言はどうでもいいよ、ほんとに。
 と、思ったのは、「現代」での柳田邦男の冷静で本質的・具体的なレポートを読んだからだろう。事故の原因と再発防止に関する発想において特に重要なキーワードとなる「ヒューマン・ファクター」についての彼の言説は一見当たり前のようだが、それこそこの国の人がなかなか身につけていない思考方法・態度だと思う。

・・・これらの諸要因の中で、日本人が発想の転換を求められるのは、人間系の要因のとらえ方、いわゆるヒューマン・ファクターの分析だ。ヒューマン・ファクターとは、いわゆる人間のミスと同義語ではない。システムを運用する要素として、幅広く人間系の問題点を分析する作業であって、マイナスの作用をするミスだけでなく、咄嗟に反射的に出た行為が危機を救ったといったプラスの作用をしたものも含む。
 つまり、ヒューマン・ファクター分析とは、人間のミスを取り上げて非難し攻撃するという日本的風習ないし精神的風土から距離を置いて、ある作業員がミスを犯したなら、彼はなぜそのミスを犯す破目になったのかという背景にある問題を、個人の性格的・心理的傾向、業務のあり方、労働環境、教育・訓練、それらのストレス、当日のコンデションなどにわたって分析し、ミスの罠に陥るのを防ぐ手立てはなかったのかといったことを分析する作業のことなのだ。(月刊現代2005年7月号・柳田邦男“「JR尼崎事故」徹底検証”より抜粋)


 喫茶店を出て、その後はノートランクスへ。