かなり混むだろうなあと予想していたが、意外にいつもにちょっとプラスしたぐらいのピットインの入り。
 この日は「ブランドン・ロス・トリオ」という名義で、メンバーはブランドン(g)、ツトム・タケイシ(b)、JTルイス(ds)。
 「コスチューム」よりもライヴならではの荒々しさがあったが、ステージ上で展開されたのは、基本はアルバム通りの、90年代のカサンドラ・ウィルソンの路線をさらにアブストラクトな方向へ突き詰めた音像。
 ここでのブランドンの演奏にジャズ・ギター的常套句はほとんど見当たらない。アコギ、ソプラノ・ギター、ファズ系のエフェクトがかかったギター、それらがブルーズの重力に抗しながら浮遊し揺れる。深遠な旋律は、西洋、アジア、アフリカ、いろんな匂いがする。 
 調性があるのかないのか、いややはりブルーズか、そっかあジャズなんだろうなあこれは、うーん、でもとにかくはまるなあ、いいなあ・・・ウダウダと思いを巡らせていたら、歪みのリアリズムど真ん中のディストーションをエレクトリック・ギターが突如ガコーンと鳴らし、こちらの脳を一気に覚醒させた。かっこいい!フリー・アヴァンギャルド系によくある白人ハードプログレ的なものとは一線を画す、ストレートで歌心あるブランドンのギター。ロックだよロック!とバカみたいに一人で盛り上がる自分。リズム隊の変化に富んだアグレッシヴさも素晴らしい。その後、アルバムでも印象的だったブランドンの透き通った歌声もステージで披露される。
 捕らえられながらも、目の前のこれら不思議な美しい音楽はどこに属するのか?とボーっと考える。いや、そもそも音楽のかたちにこだわる自分のそういった硬直した音楽観がなんだか揺らいでしまうような気さえする。理屈はいらない、気持ちいい、おもしろい、それだけで十分なのかもしれない。でも、たとえ音楽の位置づけが分からなくても、自分が興奮しているその根拠はどこにあるのだろうか?
 ブランドンのソプラノ・ギターが爪弾くオーネット・コールマンの楽曲の本当に生きた自由な響きを聴いたとき、ものすごくピンときた。つまり、歴史ということだろうか。
 数多存在するどうでもいい音を全部捨てていったときに残るホンモノの音。オーネットや、ブランドンがMCで言及したドン・チェリーだってそこに立っている、少数のホンモノのジャズの歴史。脈々と繋がったその歴史にリアルタイムで接していることに対して自分は興奮しているのかもしれない。この音が現在のジャズ・シーンに実際的にどんな影響を及ぼしているかは分からないが、自分にはブランドンの演奏の向こうにリアル・ジャズの歴史が見えたのだ。・・・と思う。
 まあいつものいかにも観念的な捉え方だが、この日のライヴを観たことで、とにかくググッと自分のジャズについての認識が前に進んだことは間違いない。