モダン、洗脳、異動するおっさん、小泉

 話題になっている菊地成孔著「東京大学のアルバート・アイラー―東大ジャズ講義録・歴史編」、初めの方のプレ・モダンとモダン云々というところを読んだ。「モダン」の概念がどうとかは、無学・無知な自分には正直なんのこっちゃという感じだったが、なるほど、理論的・歴史的な分析でこれだけビバップを熱く語られれば、聴講した人も読者も圧倒され「そっかそりゃすげえな」なんて思うかもしれない。これで例えばパーカー好きが増えれば嬉しいなあとか、一人のジャズファンとしてシンプルに思う。
 まあただ、菊地さんがこの講義で披露・展開しているジャズの聴き方や概念を言葉で理解したからってそれはせいぜい受け売りでしかないわけで、要は、その人その人がどう自分なりに聴いていくかということに尽きると思う、やっぱり。聴かないで消化しないで語っているというのが、最もたちが悪いしつまらない。
 と、偉そうに言いながらも、自分も多分に洗脳されやすい人間で、何べんも書いてるが、ジャズ聴き始めの頃は特に後藤雅洋さんの影響が相当にあった。最近個人的に、ビバップ以前のジャズ(菊地さん言うところの「プレ・モダン」)を集中的に聴いてるというのも、その四谷派ジャズ史観(王道の歴史観)の洗脳から解放されるため、なんて意味も実は無意識にあるのかもしれない。ファッツ・ウォーラーサッチモの音の凄さを感じることができるようになって、ビ・バップ〜ハード・バップだけがジャズ本筋じゃないんだなあという感覚がやっと芽生えてきたというか。
 これ書いていて思い出したが、同じ課で働いているジャズ好きのおっさん、異動することになった。現在50歳ぐらいのこの人、仕事中に職場にあるラジカセでよくCDをかけていて、最近流してたのはペッパーの「モダン・アート」、ロリンズの「サキコロ」、エヴァンスの城ジャケ、そんな王道どころ。あとカーペンターズとかピーター・ポール・アンド・マリーとか井上陽水とか。性格がかなり好きじゃないんで音楽話一切しないんだが、まあジャズCDはなんか借りとけばよかったな。
 さっき、部屋の押入れをあさってたら、小泉文夫小泉文夫著作選集(5) 音のなかの文化」があったので、これ読みながら寝よう。