またまたジャズについてのウダウダ

 ここ何日家で聴いたCDを思いつく限り書いてくと、アート・テイタムのソロ、パーカーのダイアル盤、ピクシーズ、CRIMETIME ORCHESTRA、渋谷毅オーケストラ、江藤良人、ロリンズのインパルス盤、コルトレーンのインパルス盤、そんなところになる。
 ノルウェイのJAZZWAYというレーベルから出たCRIMETIME ORCHESTRA「Life Is a Beautiful Monster」は、みんな大好きブッゲ・ウェッセルトフトとポール・ニールセン・ラブも参加しているエレクトリック・オーケストラ(10人編成)。かなりギラギラした音を出していて、アトミックよりも僕は好み。ここでベースを弾いているBjørnar Andresenという方は残念ながら最近亡くなったらしい。
 さて、ミクシィのジャズ・コミュニティの掲示板や後藤雅洋さんのいーぐるHP掲示板などでなぜか同時期に(小規模に)最近沸き起こった、「ジャズは勉強して聴くものなのか」・「ジャズに初心者はあるか」という議論。
 例えばよく言われる「ジャズには聴きかたの一定のコツがある」、この意見には僕は賛成できる。というか、ジャズだけでなく音楽は何でもそうだよな。コツというか聴くポイントを発見して掴むこと。その行為に際しては誰でも相対的に初心者で、大事なのは音に真摯に向き合う姿勢だ。その繰り返しの中で耳の幅がいきなりグッと広くなるときってたまにあって、稚拙な表現で言えば、それはつまり自身が感動をする回路が増えるということでもある。
 当然ながら自分はそれらの回路をまだまだ開拓しなければいけないレベルだが、その開拓の作業を指して「勉強」だというのであれば、自分は喜んで勉強をする。固まった趣味の中に閉じこもるのだけは避けたいから。
 もっとも、その「ジャズは勉強して聴くものなのか」という問いには、大学の授業などで教えられる学問として若い人間がジャズを理解すること(理解したつもりになってること)ってどうなのよ、というまた違う意味があったりする。
 某大学ではマイルス・デイビスの講義があるんだって。あ、あと某人気ジャズミュージシャンが東大でゼミやったりしてるよな。その辺りに関しては自分はなんとなく否定的というか、かなり違和感ある。
 いやきっかけは人それぞれでいいんだろう。でも、なんかもっと個人主義的に、いろんな自分なりの偏った思い入れをときにはしながら不器用にでも音楽を探求していく方が、よっぽどかっこいい。そうやってくうちに培われた感性の方が信用できるよ。
 そして、ジャズという音楽の深さを自分なりに理解するにはとにかく聴いていくという方法しか、今のところ僕には思いつかないのだ。
 ・・・と、30歳のおっさんのひがみも含んだ吐露、終わり。