もうファースト・ステージは終わってるか・・と悔しい気持ちを抱えながら、NO TRUNKSへ。今日は宮野裕司&池田篤のアルト・サックス・デュオのステージ。自分的には、宮野さんは昨年聴いたアケタ・オーケストラでの演奏で強烈な印象を受け、はやいとこ本人がメインのライヴを観ようと思っていた人。池田さんは初めて聴く。
 スタンダードを打ち合わせなしで、「せーの」でやり始めるステージ。自分が聴いたセカンド・セット、1時間近くアンコールも含め計6〜7曲ぐらいやってたかな?
 「日本のデスモンド」とも一部では呼ばれている、宮野さんの角が丸いつるんとした音のアルト。そして切れ味が鋭いフレーズと塩辛いトーンが前面に出ている池田さんのアルト。曲によって2コーラス・4コーラスごとのソロまわしをしたり。最初はその硬軟のコントラストがおもしろいのかなあ・・・なんて思って接していたのだが、聴いてくうちに妄想が膨らみ、脳が活性化していく。
 宮野さんの音は、ポール・デスモンドをさかのぼり、レスターヤングを越えて、ディキシーランドジャズの匂いさえ感じさせる。かなりの異端だと思う。それはバップをベースにした池田さんの音、言ってみればモダンを正史的に極めようとするスタイルとは決して混じりあうことはない。
 実際、しばらく目を瞑って聴いていても、両者の音の区別がつかなくなるなんてことはなかった、同じアルトなのに。しかし、互いのスタイルを侵食することはないが不思議に寄り添い、2つの音はスウィングしだす。ああやっぱおもしろいな、ジャズって。
 雨がまだ降っていたので、タクシーで帰宅。
 ミュージシャンは演奏のあいだは、例えばジャズ史がどうこうなどともちろん意識しているわけではなく、自分の表現のことだけを考えているのだろう。いや聴き手だって、その音に接するときは「これ気持ちいいな」とか突きつめればそれぐらいのことしか頭にはないのかもしれない。
 しかし、なんというか、特にこれはジャズという音楽のもしかしたら特長ではないかとも思うのだが、演奏者も聴き手も音が鳴ってるあいだ、その具体的な音に耳を傾けるのと同時に、ずーっと無意識・抽象的レベルで考えているような気がするのだ、ジャズについて。言い方を変えれば、それぞれのジャズ的価値観と向き合っているというか。家帰って、今日の演奏を思い出しながらそんな妄想を続けていた。