通勤自転車でのipodでは、最近出たサム・リヴァースの「Purple Violets」を聴く。ドラムのクレステン・オズグッド目当てで購入した作品。アグレッシヴなフリーかな?なんて思って臨んだが、4ビートっぽいのや、ヴィブラホンの響きが印象的な哀愁漂うラテン調ありと、予想外な展開。クレステンのドラムは自制きいてる感じ。クールに徹している。しかし抜けがよくて気持ちいい。ただやはり年齢には勝てないか、御大リヴァースのサックスのヘロヘロ感はちょっとまあ如何ともしがたい。
 帰りに駅前のルノアールにちらっと寄って、アイスコーヒーを飲みながらipodをシャッフルで。パーカー→ロリンズ→パーカー→フィル・ラネリン。そんな流れ。同じ「ジャズ」でもパーカー聴くときとフィル・ラネリン聴くときの耳の動きは、だいぶ質が異なっている。何を今さらだが、あらためてそんなことを考えた。
 フィル・ラネリンのは、トータスのジョン・マッケンタイアがリミックスしたヴァージョンかな?たしか。ドラムは中音域が強調された音質に、EQでだいぶいじられている。この作品のオリジナルは70年代デトロイトのトライブというレーベルから出たのだが、ヒップホップ耳によく馴染むビートが立った音像は、ジャズというよりはファンクやR&Bの流れにある。
 パーカーはサヴォイ盤とダイアル盤から1曲ずつ来た。ビバップでのドラムとベースの音をおもしろいと思ったことはほとんどない。しかし、パーカーのソロ部分を聴いて、楽曲そのもののタイム感やリズム構造を(理論としては分からないが)感覚的につかんだとき、自分の脳には多大な刺激が与えられる。
 自分が感じるジャズ的快楽がどちらにあるかと言えば、間違いなくパーカーの方だ。ただどうだろう、現在、初心者あるいは入り口に立ってる状態の人がすんなり入れる「ジャズ」はフィル・ラネリンの方だろうな。要するにクラブジャズの方に。
 そういえば雑誌「ジャズ批評」最新号を読んでたら、原田編集長が「『新しいジャズのことを知りたいならクラブ系の雑誌を読んだ方が早い』と言う人もけっこういるのだ」と複雑な胸の内を書いていた。うーん、どんなもんかなあ、そういうクラブ系雑誌で紹介されている音を聴いて、「それってジャズ?」と思えること個人的には多いんだが。断絶あるよな、クラブジャズとジャズ。
 そして、その「断絶」に僕はすごく興味がある。ビバップ形成までの過程・歴史に最近惹かれるのも、あるいはビバップについて思いを巡らすのも、その「断絶」への関心とつながっているのだ。