ポスト・ジャズのサウンド・テクスチュア

 昼休み外出たら暑い。中学校の入学式が終わった親子連れがぞろぞろ歩いていた。初々しいなあ。
 8時近くに仕事を終え、自転車で帰る。途中、駅前の本屋に寄り、話題になってた「STUDIO VOICE (スタジオ・ボイス) 2005年 05月号」を購入。特集「ポスト・ジャズのサウンド・テクスチュア」。最初ページ開いて、菊地成孔大友良英渋さ知らズ、と目に入ったときは、「あー、ハイハイもう分かった分かった」とまあいつもの決まりきった“日本の最先端のジャズ特集”みたいな感じかな読まなくてもいいかなとも思ったが、少し読み進めてみたら意外におもしろい。偏ってるっちゃあ偏ってるが、「今、こういうのが来てるみたいよ」的な浮わっついたスタンスとは決して切り捨てることができない力作的テキストも中にはちょっとあった。
 特に「アーティストが選ぶ10枚」企画はおもしろかった。大体、片山広明の選ぶジャズ10枚って、他では見れんよ。(菊地成孔が挙げるジャズ盤10枚に三田格がコメントする企画、これはほんとに悲惨・最悪だったけど、特に三田氏。)
 しかし、どうだろうなあ・・・この特集、何かがすっぽり抜け落ちてるなあという風にも思える。
 まず、菊地さんや渋さにまったく思いいれがない自分にとっては、この特集の大前提にある「今の日本のジャズ、絶対おもしろいよね」という雰囲気、共有できてないんだな。デートコースはつまんないフュージョンだよ、なんて断言したがってる自分のセンスはかなりずれてるんだろうし、時代とは。そもそもちゃんと聴いてないのかもしれないし。
 まあそんなことは置いといても、この特集で取り上げられているものが現在進行の本物のジャズなんだという主張があったとしたら、それには僕は思いっきり違和感があるのは事実。こういうジャズこそリアルだと言ってしまうことで、乱暴に切り捨てているたくさんの可能性がある。重要なのは観念ではなく、音楽だ。いやもちろん例えばSJ的おやじジャズが良いというわけでは決してないのだが、ジャズって、音楽って、そんなに狭いもんではないんだろうなあというか。
 酒飲んでて、いつも以上にほんとわけ分からない文章になった、と言い訳をしてみて終わり。