守安祥太郎・その2

 借りていた「そして、風が走りぬけて行った―天才ジャズピアニスト・守安祥太郎の生涯」、一気に読み終わり、返した。んで、これは手元に置いとかなきゃまずいと思い、アマゾンで古本を購入。ついでに言うと、守安本貸してくれた方にお願いして、「幻のモカンボ・セッション’54」という3枚組CDを貸してもらった。伝記を読んだことによる思いいれが相当にあるのは否定しないけど、いやあ、すごいピアノだ。


 この時期のジャズも含めた日本の音楽をまともに自分は聴いたことがないから、「この時代に日本人でこれだけのことをやっていたのか!」みたいな表現をすることって単なる受け売りでしかない。しかし音を実際聴いてのこの持ってかれる感覚については、嘘がないというか、単純に言うとパーカー聴いたときにガツンとこちらにぶつかってくる巨人ジャズの本質と同じものがほんと守安のピアノには感じられるのだ。陳腐な言葉であれだけど、パウエルとはまた違う、独特な歌心・ロマンチシズムの匂いもある。美しい。


守安祥太郎」でグーグル検索したところ、すぐに出てきたサイト↓
http://www.uchida-jazz.jp/DrJazz/artist/moriyasusyotaro.html
http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/yurin_443/yurin3.html


 内田修さんは、「そして、風が〜」の中でもこう話している。

この人がいなかったら、今の日本のジャズはなかったでしょう。というのは守安こそが、当時「奇妙なスタイル」だと思われていたモダン・ジャズのはしり・・・ビ・バップを捕らえていたからですよ。その中でも本道のパーカー、パウエルの2人の存在をきちんと認識し、その音楽を解明し、芸術としてのジャズが向かう本筋に向かって創造していったんです。宮沢昭秋吉敏子渡辺貞夫高柳昌行、などを筆頭に、守安の影響のもと、若い人が育ったからです。(P504)


 油井正一さんもこう話している。

それまで日本に入ってきたジャズは白人のそれで、黒人が新しいジャズを発明していることは、ほんの一部の人にしか知られていなかったのですが、守安は「本物のジャズはこれなんだ」と見極めて、その陽の当らないジャズを一生懸命身につけていったんです。しかし人気のあるジャズ・ミュージシャンはジョージ川口渡辺晋であり、歌手ではペギー葉山マーサ三宅だったわけです。(P503)


 「モカンボ・セッション54」は現在廃盤になったのかな?前回は98年に出たから、もう一回、リマスター盤とかじゃなくてもいいから再発してくれないかな。