さて、チャーリー・ハンターの昨年出たトリオ作品「Friends Seen & Unseen」、アマゾンから届いて、ずっと聴いてる。よく飲みに行ってる国立ノートランクス(HPがリニューアル!)の掲示板にレビューもどきを書いた。あきらかにあとづけであれだが、自分のなかの2004年の1枚に急浮上。ディアンジェロの「voodoo」で演奏してたときほど黒くないが、この弛んだグルーヴというか、どこかもたついた感じがはまる。


R&B熱が盛り上がってとりあえずディアンジェロ周辺のところで、Raphael SaadiqInstant Vintage」を購入したり、ザ・ルーツを引っ張り出したり。この辺りはもちろんジャズではないし、そこにあえてジャズ的要素を聴きとろうとしても、なんだか耳の焦点がずれてしまったりするので、これはこれとして聴いたほうがいいのかもしれない。クラブ・ジャズとおやじジャズの断絶を無理やりつなげなくてもいい。


しかしそれとは別に、こういうの(R&B)聴いてると例えばジョン・ゾーンとかサースティ・イヤーとかの尖がったフリージャズ聴けなくなるなあ。音が硬すぎるというか。もちろんジャズに踊れる要素は必要条件というわけではないが、何だろう結局僕はベースとして黒人音楽が好きだということなんだろうか。ジャズで最初にはまったのも決して本道ではないモンクだし。


油井正一さん流に言えば、スイングからビ・バップにジャズが決定的変質を遂げたときに、そこでジャズとダンスは絶縁した。例えばスピーカーの前でパウエルをウーンとうなりながら聴いている自分のことや、アケタの店やピットインでステージをジーッと微動だにせず見ながら音に集中している客席の人たちのことを思い出してみてもいい。あるいはジャズ喫茶なんかがもっとも分りやすいのかな。芸術鑑賞的聴き方がジャズの本質なんだろう。それがいいか悪いかは別として、まじめな?人にはあっているというか、まあ傍目から見たら楽しいもんではないだろうなあ。
そんなわけで、最近後藤雅洋さんのいーぐる周辺でティム・バーンなんかが推されているのは、すごく理にかなったことなんだと妄想的に納得する次第だ。


そういえば適当にグーグル検索してたら、ニッティング・ファクトリーについてのこんな記事があった。
http://www.mc5japan.jp/wayne/kreport24.html
テキスト本論からは、ずれるが、MC5復活してたこと初めて知った。