ミュージック・マガジン3月号の特集「ジャズの現在」を読んだ。よく言えば幅広く現在のシーンをフォローしているともいえるが、何を言いたいか分からんという感も強い。前半と後半での総論的な長文を書いている2人、渡辺亨氏と松尾史朗氏。読んで聴きたいなあと思わせるというか煽られるのがどちらかと言えば、圧倒的に後者の松尾氏のほう。その松尾氏のテキスト前半の「巨人によるジャズの時代は終わった」という定義は、どっかで聞いたことあるなと思ったら、村井康司これに書いていたよな。
また、ライター11人がそれぞれのジャズ観/定義を書いた「私の考えるジャズ」。相倉久人原雅明、松尾史朗、松山晋也、ムードマン、以上の5氏の論がなかなか興味深かった。ここでの田村夏樹「KO KO KO KE」を取り上げた松尾氏の力の入った文章に刺激され、一昨日それを買って、昨日と一昨日聴いていた。哀愁と気まぐれと脱力といった第一印象のトランペットと「メキナカ〜、サァー、コノー、メキナカ〜」、「ベシベシベシ・ベシ・ドド・ドド、ペン!」「ハー、ネッタラー・モッタラー」「パスリジャー、ポスリジャー、ペスリジャー」などなどの奇妙で何だか暖かい田村本人による唄。自身が発する声とフレーズに触発されトランペットから音を絞り出し、また唄をふっと始めるという過程は、最初のうちは変でおもしろいなあなんていう感じなのだが、その真摯なパフォーマンスが続く様にじわじわと引き込まれ、そのうち即興について深く思いをめぐらす自分がいたりする。録音のよさというか、静寂を見事に再現したその音の響きは、フィッシュマンズの「ポッカポッカ」の冒頭の部分を思い出す迫り具合。CDを聴いてその声とフレーズにこれだけ笑わされるというのも、なんかピエール瀧以来かなあと思ったりもした。