ジャズ初心者

sabio2003-08-09

午前中は仕事。昼帰ろうかというときに雨がかなり降っていたので、昼飯は近くのコンビニで買って職場で食べる。
午後は立川のHMVで4枚CDを買い、その後は昨日に引き続き国立へ行ってCDを6枚ほど買う。立川ではポイントがいつもの3倍ということでチャンスだとパーカーのストーリー・オン・ダイアル、ロリンズの「橋」と「プラス4」、コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」を買う。国立ユニオンでは、スタン・ゲッツデキスター・ゴードンやマイルスの「ウォーキン」やトニー・ウィリアムス「ライフタイム」などを買う。なんかよくある「ジャズを聴くならまずこれだ!」というような教えに忠実な買い方だなあと我ながら思う。だが、単純に良いと思うものが良いんだという聴き方や買い方というのは幅が狭くなっちゃいそうでいやだなあと思うんで、クラシックと呼ばれてるものをまずちゃんと聴いて、基本を身に着けるという方法をとっている。特に今年に入るまで、ジャズなんか全く聴いていなかったんで、今はこういう風な時期なんだと思う。
「『ジャズ初心者』は一般にいわれるところの初心者ではない。なぜなら『音楽を聴く』ことに『初心者』も『上級者』もないからだ。多くの人はなんらかの音楽体験があったうえでジャズに進む。したがってその人は、ジャズに関する知識が乏しいだけであり、決して『ジャズ初心者』ということではない。あなたは自分が思っているほど『初心者』ではない。聴こうとしているのはジャズという『ジャンル』ではなく、たんなる『音楽』にすぎない。事前に歴史を知る必要もなければ、名盤ガイドブックに忠実である必要もない。ただ聴くのみ。それが近道であり、結局のところ、道はそこにしかない。」評論家・中山康樹氏がそんなことを書いていた。
確かにそれは正論だとは思うが、やはり例えば「ヒップホップ耳」や「テクノ耳」なんかと同様に「ジャズ耳」みたいなものは存在するわけで、それはある程度の知識と経験がなければ身につかないものだ。歴史をガチガチに観念的に頭に入れてそれに基づいて聴くなんていうのは本当に不毛だし、何よりもそこにある自分の感性というものを失っている点で音楽を聴く意味が失われている。ただやはり文脈を踏まえた聴き方というのは、その音楽で起こっていることをなるべく正確にとらえるためにもとても必要なことだ。いま僕が日記でCDやライブの感想を書いていても本当に稚拙になってしまうのは(根本には文章力のレベルの低さというのがあるのだが)、やはり分からないことがいっぱいあるからなのだ。たとえば昨日の田村夏樹グループをロック耳で聴いてロックの文脈から感想を述べたとして、それはそれでおもしろいことが書けるかもしれないが、彼らの音楽の本質をちゃんとつかんだものにはならない(そういえば、こういうことをけっこう前に雑誌「REMIX」のECDのレビューで原雅明が書いていたな。)。通説を常に疑いながらも、やはり歴史は知っておいたほうがいい。量を聴いて基礎を身につけてそこから自分の独自の聴き方を発展させていくやりかたを今はしていくしかない。
そんなわけで、油井正一著「生きているジャズ史」を買った。