国立ノートランクスでの早川岳晴トリオ

 休み。前日は国立で3時過ぎまで飲み、漫画喫茶に泊まり、朝7時頃に家に到着。4〜5時間ぐらい寝たあと、ちょうどそのぐらいの時間に帰ってきた夜勤明けの妻といっしょに近くの川まで散歩。桜がだいぶ咲いているのでちょっと花見でもするかと、コンビニでお茶を買いそれを飲みながら川原の土手に座って一時間ほどボーっとしていた。東国原って気持ち悪いなとか話しながら。
 夜は再び、国立に。
 国立ノートランクス、この日のライヴは早川岳晴トリオ。メンバーは早川(b)、渡辺隆雄(tp)、力武誠(ds)。
 早川と言えば極太で爆音のエレクトリック・ベースをゴリゴリに引き倒すというスタイルの第一人者でもあるわけだが、この店に関すればウッドベースでの登場率が非常に高い。この日もウッべ。アコースティックだからジャズで、エレクトリックだからそうじゃないなんて不毛なことを言うつもりは当然ないものの、早川岳晴がアクセントとしてではなく正面からウッドベースを弾くことに取り組んだら何かジャズ的なおもしろいことが起きるんではないか、そういつも思いながら彼のライヴは聴いている。
 「ネクタイして伝統芸能みたくバップをやる奴等は大嫌いだ、オーソドックスにやろうと思う人たちの気持ちが分からない」。10年前ある雑誌のインタビューで早川自身が述べていた言葉だ。その意味・姿勢にはもちろん共感できる。ただそれから10年経った現在のシーンを見ると、ロックなどの要素を多分に取り入れたオーソドックスではないジャズ、分かりやすい例で言えば(かつて早川も参加していた)渋さ知らズの新譜のつまらなさに象徴されるように、何でもあり風な雑食系なジャズと呼ばれる音楽にもそろそろ限界が来ているなという感がある。というか、俺はその辺には正直食傷気味だ。(同じような感覚でノルウェー系とかも厳しいかも。)
 上っ面だけをなぞった伝統芸能ジャズをおっさんたちが好む光景もまったく理解不可能だが、音楽ライターなんかがよく書く“ロックやクラブミュージックを通過した最先端のいまのジャズ”的な言葉にも、何か白々さを覚える。この両者が幅を利かせれば利かせるほど、ジャズという音楽の本来の深さやおもしろさがどんどん見過ごされていくような気がしてならない。例えば「中央線ジャズ」と言うときの「ジャズ」という部分をもっと大事にしなければならないと思う。
 エレベが代名詞のそして80年代から雑食スタイルを貫いてきた早川岳晴があえてウッべに持ち替えジャズをやるという事実に過剰に反応してしまうのは、そんな自分の妄想になにかの答えを差し出してくれるのではないかと期待するからだ。
 この日は前述したようにアコースティックのトランペットトリオという、ジャズではそれほどメジャーではない編成。ファーストセット冒頭2曲・オーネットとモンクの曲。早川のベースは相変わらずの強度を持っているが、正直3者はそれほど噛み合っていないように聴こえた。
 そんな、どんなもんだろうなあ・・という微妙な状況が破られたのが、3曲目の早川のオリジナル「手品師のルンバ」。師匠の日野元彦の音にも通ずる音数の多さとアタックの強さが印象的な力武のドラムと、早川の普段よりも抑え気味のピチカート奏法が、呼応しあいながらグルーヴしていく様に興奮度が高まる。この両者のつくりだすリズム感覚は、強靭さと奥深い柔らかさがあるという点ですごくジャズだなと思えた。そして、老舗アケタ・オーケストラや清水くるみのZEKオーケストラでもソリストとして強力に個性を発揮させる渡辺の力強いトランペットの音に、また思わずググッと体を乗り出してしまう。
 セカンドセットは、この「手品師の〜」以降のトリオのグルーヴ感が持続された、めちゃくちゃかっこいい3者の音。特にアンコール前、本編ラスト「アフロ・ブルー」が圧巻だった。コルトレーン・カルテットの高みを超えようかという怒涛感。力技でぶっちゃけるというよりはひたすら吟味した音でスウィングし高揚感を生み出していく早川のベースに、クールな凄みがあった。
 そのエレクトリック・ベースの個性的な音のインパクトゆえに、ともすれば見逃されてしまう早川のジャズに対するリズム観がリアルにあらわれていたライヴ。そんな期待以上の音楽が聴けて、ものすごく嬉しかった。