うどん屋で夕飯を食べた後、向かった先はライヴハウスLUSH。酒井泰三・企画のイベント「快楽事件」を聴きに行くため。
 酒井泰三というギタリストの存在を初めて知ったのは、2003年の6月。当時の自分は、中央線ジャズ系(いや、そのときはそんな言葉も知らなかったが)ライヴハウス、例えば西荻窪アケタの店や新宿ピットインや国立ノートランクス、などに積極的に通い始めていた頃。その行動の一環としてフラッと入った西荻にある“音や金時”というライヴハウス。ステージに立っていたのは、友部正人のアルバムで名前は知っていた太田恵資という非常に怪しい雰囲気のバイオリニスト、そして尋常ではなく馬鹿でかいギターの音を出す酒井泰三という人だった。
 専門誌などから得れる情報を基に音楽に接する習慣にまだあった当時の自分からすると、うわあこういう人たちいるんだ!とやたら新鮮な気持ちになって、演奏終了後、図々しくもその爆音ギタリストに思わず声をかけてしまった。「エレクトリック・マイルスのジョン・マクラフィンとか思い出しました。」なんて偉そうな分かったよう分かんないようなことをたしか言ったと思う。その爆音ギタリストがそれにどう反応してくれたかは忘れたけど、「今度いつライヴされるんですか?」と尋ねた際の「ええと、ヤフーで検索すれば私のホームページ出てきますんで、そこでチェックしてみてください」との答えに従って、家に帰って早速パソコンを開いて彼のサイトを覗いてみた。
 もともとは近藤等則のバンドのメンバーで、その後は林栄一や片山広明や芳垣安洋や早川岳晴などと共演してきたという個性的な経歴といっしょに、そのとき初めて知ったのが、彼が(その当時からすると)1年前に事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負っていたという事実、だった。
 ・・・そして今日の話に戻ると、この「快楽事件」というイベントが行なわれる3月16日という日はつまり、酒井泰三に襲いかかったその事件の日付である。事件から4年目、こういう挑戦的でユーモアのあるイベントタイトルを付けられるぐらい本人は復活したのだとも言える。しかしそれよりも、表現者として(実際問題の体の状態としても)あの事件を背負っていくんだという重く悲壮な決意、そういったものも多分に感じられる。
 とにかく、酒井泰三にしてみれば非常に重要な意味を持つこの日のライヴ。聴きに行くこちらも気合いが入るってわけだ。
 あいにくの雨にも関わらず、渋谷LUSHのフロアはよい感じで埋まっている。クラブ系・ロック系のイベントが中心の箱だということもあり、音響的には相当な爆音・重低音もOKという酒井にとっては好条件な環境。
 19時40分過ぎ、1組目のバンド古澤良治郎(彼は、近藤等則と並ぶ酒井のもう一人の師でもある)の「ね。」が登場。