江古田駅前のバディで開催されている“DOMフェスティバル”の初日を観に行く。
    →http://www.japanimprov.com/japantour/dom/
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 まずは、主催の副島輝人氏から故ニコライ・ドミートリエフ氏の功績・思い出が話される。追悼そして彼の意思を引き継ぐのだという明確な意思を示すための今回の日本でのDOMフェス。なかには、“費用は自分持ちで”と言ってまで参加する外国のミュージシャンもいるとのこと。ニコライ氏が生前、いかに信頼されていたかが分かる。

【出演】:
①ウラジーミル・ヴォルコフ(B)+梅津和時(Sax)デュオ
大友良英(G)ソロ
佐藤允彦(P)+ パク・ジェチュン (Per) デュオ
梅津和時(Sax)+鬼怒無月(G)+早川岳晴(B) 
佐藤允彦(P)+ウラジーミル・ヴォルコフ(B)+梅津和時(Sax)
⑥劇団ストアハウスによる即興芝居

 ①のヴォルコフ氏は、ロシアの即興音楽界ではかなり有名な方らしい。梅津さんと二人でオールドスタイルなフリージャズを15分近く演奏していたが、ヴォルコフの抑制されたアルコと、梅津のボギャボギャがいまいち噛み合いきらない。うーん・・どんなもんなんだろうなあと思いながら、眺めていた。
 そんなテンション低い状態がいきなりぶっ飛んだのが②の大友良英のギター。曲目は「ロンリー・ウーマン」。演奏前に、ニコライ氏への思いを実直に語る大友さんの姿にまずグッとくる。しかし、それよりなにより、音楽がびっくりするぐらい素晴らしい。
 ここでの彼のギター演奏に触れてるあいだ“インプロヴィゼーション”や“ノイズ”なんて浮っついた言葉は僕には思い浮かばなかった。出す音すべてに意味がある。そんな大げさなこともつぶやいてみたくなる出音の歪みの美しさに、圧倒されるだけだった。
 全く的外れな例えだと承知で言えば、ドイツのベーシック・チャンネルのダブと鏡合わせの音だなと思った。ベーチャンがザックリ切り捨てた音域を大友良英のギターは深くえぐっている。しかし音楽そのものが持つ求心力の強さと、その立ち居地が、両者はとてもよく似ている。
 続いて佐藤&パクの演奏③。この二人の演奏をまともに聴くのは僕は初めて。
 フリーモードのデュオ。山下トリオの森山威男か?と思うほどのパク氏の強烈なぶっ叩き続けスタイルと佐藤允彦のゾクッとするような鋭利なピアノとがぶつかりあった瞬間、一発でこちらの頭のスイッチが入った。かっこいい。
 出演者数の多さから、このフェスでは残念ながらそれぞれの組の演奏時間はかなり制限されている(平均20分ぐらい)。パクの演奏はもっと聴きたかった!と物足りなさが残ったが、佐藤のピアノは後半⑤でも聴けて、やはりそこでも素晴らしい存在感を示していた。
 勝手に予想していたのとは全く違い、バキバキ感・ヘヴィーネスが希薄だった④。プログレ的であったりクレズマー的であったりする音楽。このフェスの主催でもある梅津さんは、この日一番多く演奏もしていたけど、多様な音楽性は見事というかなんだか捉えどころがないというか。
 ラスト⑥は音楽ではなかった。機材を片付けた後のステージで繰り広げられた芝居というか舞踊らしきパフォーマンスを20分近く。60年代〜70年代にかけての前衛芝居テイスト。ほぼ裸の数名の男女がうごめきあって転がりまわって何かしらを訴えているようだが、すんません、俺の胸には一切届かなかった。“予定調和がない”という予定調和。“前衛”という名の硬直。そんな感想しか出てこない。それは、感性の違い、あるいは自分の理解力・知識力の低さに起因しているのだろうけど。
 副島さんのこれまでの仕事・功績は立派だと思うし、そもそもこのフェスの意義や心意気というのはものすごく尊敬できる。でも、このパフォーマンスに時間を割くのであれば(しかも、この日のトリ!)、むしろミュージシャンの演奏をもっと聴かせてほしかったなと、率直に言って感じた。違和感があった。
 もうひとつ言えば、ジャズ、フリージャズそのものよりも “前衛思想”や何かの思想が上位概念としてもしあるのだとしたら、それは自分とはあんまり関係ない世界だなと思った。