ハレルヤ、いーぐるの掲示板

 ここ最近は、日曜出勤やら残業やらが続き、家でちゃんと音楽を聴くという時間があまりない。まあ今月はこんな調子で何かと忙しそうだ。
Live at the Yacht Club
 来月の名古屋での大西順子トリオのライヴ(私信:スズキさん、ありがとう!)に備えて、彼女の音源を聴きこもうと考えたりしているが、家帰ったら寝てしまう、そんなダメダメな毎晩だが、一昨日アマゾンから届いたファッツ・ワーラーの1938年のライヴ盤「Live at the Yacht Club」には救われた。「ハレルヤ」から始まる中盤の数曲のピアノソロ、持ってかれます。で、せっかくだからCD棚にあった「ザ・ジニアス・オブ・バド・パウエル+2」の「ハレルヤ」も比較して聴いてみる。うわ速い!でもちょっと軽業師っぽいかも・・・、パウエルのピアノになんだかそんな印象を持った。守安祥太郎の絶頂期の演奏が聴衆には曲芸的見世物と紙一重の捉えられ方をされていた、そんなエピソードも思い出す。
 話変わって、後藤雅洋氏のいーぐるHPの掲示板で現在展開されている議論、おもしろい。→http://8241.teacup.com/unamas/bbs
 ここ2〜3年はジャズばかり聴いているが、自分はテクノもヒップホップも大好きだ。クラブで音を浴びること・体験することで音楽の聴きかたが変わる部分があることは否定しないし、あるいはミニマルなビートに身を任せることでの恍惚状態というのも、感覚としてよく分かる。そして、ジャンル的にクラブ・ジャズと呼ばれるもの・フューチャージャズと呼ばれるもののジャズ評論における位置づけについてもとても興味がある。ただ、例えば社会学者が展開する「現代におけるクラブ・ミュージックの重要性・革新性」といった言説にはまったく興味がない。多分に観念論的な匂いを感じるからだ。(野田努さんの音楽評論における功績は大きいと思うし、言ってることも説得力あると思うが。)
 サブカルチャーの分野でクラブ・ミュージックの存在が大きくなっていることと、逆にジャズが衰退していること、そこにどんな意味があるかは分からない。ただ個人的に言えるのは、耳ということに関しては、最初はギャップあったなあ、クラブ耳とジャズ耳のギャップ。言い方を変えれば、テクノやハウスやヒップホップにはまった経験がジャズを聴き始めた際に直接生きたという部分ってかなり少ないのだ、自分の場合。特にモダンジャズやその前のもっと古いジャズの魅力ってすぐに理解できなかった。今ではファッツ・ワーラー最高だなんて言ってるが。
Emphasizer
 何を言いたいのか分からなくなってきたが、結論としては、「ジャズの芸術性」とか「クラブ・ジャズは傍流、ではジャズの主流とは?」とか「クラブ体験の重要性」とか観念的なこと言う前に、「これいいよ」というのを提示しさえすればいいのではないかということだ。・・・と今気づいた。で、自分が最近聴いた中のその辺りで推薦したいのは、「Emphasizer」と「ハモンド・レンズ」です。