フィッシュマンズをNO TRUNKSで聴く

 休み。日中は家で音楽を聴いたり読書をしたり。アマゾンで注文していたルイ・アームストロングのBOXセット「Hot Fives & Sevens Box」が届く。
 午後7時過ぎに家を出て、歩いて国立まで。駅前のユニオンにて買い物。チャーリー・クリスチャンのBOXセット「ザ・ジーニアス・オブ・ザ・エレクトリック・ギター」、森山威男「信正見参」、林栄一モナリザ」をいずれも中古で、ハイロウズ「サンダーロード」を新譜で購入。
 ユニオン近くの飲み屋で夕飯をすませ、午後9時近くに国立ノートランクスへ。月イチ非ジャズ企画、この日はフィッシュマンズ特集。DJはミュージックマガジン5月号で力の入ったフィッシュマンズ記事を書いていた工藤大さん。
 先日出たベスト盤を軸に曲がかけられた。僕が熱心にフィッシュマンズを聴いていたのは、後期も後期「宇宙・日本・世田谷」の頃。音響派的・ダブ的な音像の暗い美しさがたまらなく好きだった。歌ものという印象が強い初期・中期の緩さというのもそれはそれで魅力があるが、今回久しぶりに聴いた感じでも、やはり自分にとってのフィッシュマンズのピークは「宇宙・日本・世田谷」だなと思う。ファーストに入ってる「チャンス」なんかもすごく好きだけど。
 「佐藤伸治の写真を見ただけで泣き出すファンがいる」という話には何だか考えさせられた。マガジンでの工藤さんの記事の主旨も「思い出やイメージじゃなくて、もっとまじめに音楽的に聴くべきだ」ということだった。佐藤伸治のストイックなミュージシャンシップあるいはフィッシュマンズの音楽の発展に対して聴き手として誠実に接したのであれば、偶像化・絶対化なんていう思考停止状態にはならないはず、と僕も思う。
 6年前、冷たい雨が降り続く中で行なわれた佐藤さんの告別式の帰りの電車で、「ロング・シーズン」を聴きながら決意したのは、「自分は音楽を聴き続けていくんだ」ということだった。正直、ここ何年、フィッシュマンズをじっくり聴くことはしていなかったし、もしかしたらこれからだってそんなに機会としてはないかもしれない。音楽を聴き続ければいろんなところに嗜好や興味が移るのは当然だし、その自分の嗜好にフィッシュマンズが入らなくなったことが別にフィッシュマンズの音楽そのものを否定することにはならない。重要なのは、自分が音楽を必要としているか、音楽に真剣に接しているかということだ。
 そしてそういう気持ちを持ち続け、実践していくことが、聴き手として佐藤伸治の意志を少しでも引き継ぐことになるんじゃないか、大げさで暑苦しい言い方だが、そんな風に思う。