朔太郎、ONJO、ミッシング・リンク

 高崎・前橋への小旅行から帰ってきた。
 昨夜はホテルにある飲み屋で妻のお母さんにいろいろと突っ込まれ、真剣に厳しい局面もあり。
 今日は前橋文学館に寄った。ここの文学館のメインは萩原朔太郎。上映されていたビデオ「朔太郎の作品と生涯」の中では、彼自身による自作の朗読が録音された音源も聴けた。それと朔太郎は、音楽をかなり愛好していたようで、自分でギターやマンドリンも弾いていたらしい。その演奏の音源はさすがに残っていなかったが。
 そんなわけで、今日は音楽はほとんど聴いてなかった一日。帰ってきて、ONJO「ONJO-Otomo Yoshihide’s New Jazz Orchestra」をまた聴きだす。
 昨日書いた文章、自分で読んでも何言いたいかよく分からんが、要するに、このONJOの音からは自分にとってのジャズ的快楽のようなものを感じられないということを言いたかったのだ。と、なんか偉そうに言ってるが、まあフリージャズの文脈を自分は理解していないだけなんだろう。Cor Fuhlerの最近の作品に似てるとは思ったが。それと渋谷系の残骸めいたものに対する一方的なむかつき・いらつきというのもあるな。カヒミ・カリィカヒミ的なものが嫌いというか。
 ただ、先鋭的な要素を持ったポップスという視点では、もしかしたらこのアルバムいい線行ってるのかな?そういう立場に立つと、聴こえ方も変わってくるのかも。
 ・・・まあこんなことをウダウダ考えてりゃ、そりゃ妻のお母さんにも怒られるわな。
 同じ日に買ったミッシング・リンクの「The Spell Was Cast」⑤での渡辺隆雄(tp)のソロ部分に感銘を受ける。美しく静かな、しかし燐とした音出している。かなりグッときた。