毎度毎度同じようなことを書くが。

 仕事。7時近くまで。帰りに駅前の本屋とHMVに寄った。
 山下洋輔の本(70年代の風雲ジャズ帖の復刻だったかな?)をちらっと立ち読みして、そこでのフリージャズと現代音楽の違いについての話にふむふむと読み入る。その後酒飲んだら、内容はだいぶ忘れてしまったけど。ええとなんだっけな、現代音楽でよくやるようなピアノの内部奏法、ああいう表現の方法はジャズとは馴染まない、ジャズ的ではないって話だったかな。与えられたスタイルの根本というか、もともとのところには手をつけないで、制限がある中で演奏家がどう自分の表現を出していくか、どう抵抗していくかががジャズという音楽なんだ。で、ジャズとロックが違うのもそういうところなんだよ、ってそんな感じだったような気がする。
 左のアンテナにある「空の小屋日誌」経由で沼田順さんの日記(id:doubtwayoflife:20050424)を読む(ジャズ批評での沼田さんの「パンクですから」好き)。ミュージックマガジンのレヴュー批判だが、なんだか自分にも思いあたるところあって少し痛いところをつかれたような気分になった。「またカヒミ・カリィかよ、もういいよ」って、マガジンのレヴュアーと同じこと自分もよく思っているし、また沼田さんの指摘する、音楽そのものではなくそのファンを批判するってのも自分はよくしている行為だし。
 ただなあ、菊地さんとか大友さんの音楽聴いて「これこそが今のリアルなジャズなんだ!ジャズも捨てたもんじゃないよ」みたいに言い切っちゃう聴き手の態度・感性って、自分にはやっぱりすごく違和感がある。いや、そういうふうに言い切る人はいろんなジャズを聴いてそう言ってるんだろうから、いいけどさ。
 寝る前に聴いていたCD→「クラシック・アーリー・ソロ1934-1937」。