村上春樹とジャズ、ショーケンといっけい

仕事が3時半ごろまで。国立のユニオンにちょっと久しぶりに行った。店内の配置がだいぶ変わっている。ジャズ・コーナーでは今までとは違って、「ピアノ」とか「テナー・サックス」というような楽器ごとの分類ができていてけっこう見やすくなった。と言っても、品数はこれまでとほとんど変わっていない。今日はモンクがなんか多く置いてあるんで、思わずつられて1枚買った。その他はジャズ7枚、ロック3枚、本1冊。本は村上春樹和田誠の「ポートレイト・ジャズ2」。

ソニー・ロリンズの魅力はいくつかあげられるが、中でも余人の追従を許さないのはスタンダード・ソング(いわゆる「唄もの」)を演奏するときの、すさまじいまでの解像力だ。あっというまもなく唄の懐に入り込んで、その中身をひとまずゆるゆるにほどいて、それから自分勝手に組みたて直して、もう一回かたくネジを締めてしまう。ストラクチャーを残したまま、テキストを内部的に置き換えてしまうわけだ。このへんの素早い見切りにいつも惚れぼれとしてしまう。「理科系」のジョン・コルトレーンにはそういうことはまずできない。

こんな感じでストレート・アヘッドに、ジャズに対する思い入れたっぷりな文章を村上春樹が綴っている。これ読んだら、昨年自分が聴いたロリンズのライブ思い出した。
海辺のカフカ」で主人公の少年がジョン・コルトレーンとプリンスとレディオヘッドウォークマンで何度も聴いている場面を読んで、コルトレーン聴いてみるかなあと興味を持ったことが僕がジャズを今のように聴きだすきっかけだ。
そういえば、2〜3年前のインタビューで、小説家としての方法論において自分と似ているあるいは自分が影響を受けたのはマイルス・デイビスだということを村上氏はたしか述べていたが、その当時はマイルスもジャズもまったく聴いていなかった僕にしてみれば、へえそうなの、という話であった。だからと言ってその意味について今もあまり考えたことはないのだが、今日聴いていた鄯-Podから流れてきたマイルス60年代黄金クインテットのアルバム「ソーサラー」は、村上春樹で言えば「ダンス・ダンス・ダンス」とかその辺かな、と一瞬思った。
夜はテレビでK−1を見て、その後テレ朝開局45周年特別ドラマ「土曜ワイド劇場 松本清張・証言」を見る。いかにも松本清張的な世界やメインの東山なんかはどうでもよかったんだが、ラスト近くの刑事役・萩原健一と容疑者役・渡辺いっけいの取調室でのやりとりは、めちゃくちゃ素晴らしかった。このシーンだけ、ドラマ全体の中でトーンが違いすぎる、しかも唐突にだったしなあ。2人とも目がいっちゃっていたし、まさにギリギリの演技というか、狂気のハイ・テンションというか、とにかくびびった。なるほど製作発表会見では、萩原健一、内容についてこんなことを言ってたようだ。