「シャウティン」を聴きながら考えたこと

仕事で9時近くまで残る。CDウォークマンに今日入れていたのは、ドン・ウィルカーソン(ts)の「シャウティン」という63年のブルーノートの作品。日曜にお茶の水で中古で買った。ギターにグラント・グリーン、その他はジョン・パットン(org)、ベン・ディクソン(ds)というパーソネルによるソウル・ジャズ(?)。笑点のテーマ曲のような軽快な1曲目から最後の曲まで、難しいことを考えることなくノリで聴けるというところがこの作品の最大の魅力である。特にドラムが気持ちよく聴けた。
聴き方なんてのは本当は自由なのだろうが、ノリで聴くという行為は、ジャズのちゃんとした聴き方からは外れているんでは?という思いも頭をよぎったりする。ジャズの本質とはインプロヴィゼーションなのであるから云々という頭でっかちな思い。そんなのはどうでもいいんだ!と思考停止することはできないが、フリー系を聴いてついていけないなあと感じるとき、こういうファンキーなジャズや、ハード・バップを聴くと落ち着く。正確に言えば、コツがわかっているからゆっくり楽しめるという感じ。中山康樹氏は「ジャズはあきらめるな」とセシル・テイラーを例に書いていたが、フリージャズわかるときが自分には本当に来るのだろうか?