守安祥太郎・その1

仕事は9時近くまで。帰りは雪が降っていたため、職場に自転車を置いて電車で帰る。


守安祥太郎の伝記、半分ぐらいまで読んだ。この人、戦前の中産階級で血筋も良い家で育ち、頭もすごくよかったらしい。近い親類に2・26事件で殺された高橋是清がいたという初っ端のエピソードで、へぇー、と軽い驚き。身分としては相当のボンボン。しかし人格的には立派でまた細やかで、学生時代所属していた慶応ヨット部でも一目置かれていたそうだ。太平洋戦争が激化していた時代で試合こそはできなかったものの、部の主将まで務めたらしいし。読んだのはまだその辺ぐらいまで。


後のジャズとのつながりで言うと、守安のピアノの腕は中学時にはセミプロ並みだったらしく、難しいと言われるショパンの練習曲も弾きこなせていたらしい。また印象的だったのは15・6歳ぐらいで「泉鏡花にはまっていた」という部分など。日本のビ・バップまたは本物のジャズの創始者といわれる人の、その成育過程というか彼をつくった時代や社会の環境を知ることはとても刺激的で、また実際、興味深いエピソードがたくさんある。


守安本の影響かもしれない、ipodで今日自分の耳が反応したのはモダン・ジャズ。コテコテのテナーだが、だからこそ素晴らしいジーン・アモンズとか。